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イ01 海外文学好き好きボーイズ,《エクス・リブリス》全レビュー(¥300)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で19日め.
私が第21回文学フリマ東京で買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(23評/23冊) - kugyoを埋葬する

イ01 海外文学好き好きボーイズ,《エクス・リブリス》全レビュー(¥300)

海外文学好き好きボーイズ [第二十一回文学フリマ東京・小説|海外文学・翻訳] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 「蔵書票」を意味する「EX LIBRIS」の名を冠した,白水社の世界現代文学の翻訳シリーズは,読書人のあいだではつとに有名です.こちらの同人本はそのシリーズの全作品をレビューしています!

 ふつう我々は長編小説,つまり物語を理解しようとするとき,文字を1つずつ拾って読むというよりはむしろ,これまで培ってきた物語の原型を使って,飛ばし飛ばしに読んでいきます.しかし,現代文学のエッジィなところを理解しようとすると,その原型そのものへの挑戦を含んでいるためにその手抜きが通用しなかったり,あるいは海外作品であるために使っている原型や歴史的前提がちがっていて手抜きが通用しなかったりして,読むのにとまどうことが多々あるはずです.
 そういう難しさがありつつも海外文学を読むのは,エキゾチックへのあこがれとかスノビッシュな対人戦略とかということもあるかもしれませんが,やはりどうせ読むなら世界でいちばんおもしろい作品を読みたいよね,という文学への愛がなせるわざだと思います.
 じっさい,この同人本に含まれる評のなかには,このギャップに苦しんだとおぼしきものもあるのですが,それでもなにかしら,それぞれの作品を読まなければ出会えなかっただろう特別なものを引き出していて,蔵書に加えたいという気分をかきたててくれます.
 私の既読は,ボラーニョ,通話(1997=2009,松本・訳)とキーガン青い野を歩く(2007=2009,岩本・訳)しかなかったので(あとピランデッロの短編集は部分的に読んだことがあったかも),今回は新しい出会いにページをめくるごとにわくわくしていました.トーディ,イエメンで鮭釣りを(2007=2009,小竹・訳)は映画化した(砂漠でサーモン・フィッシング, 2011)作品ですよね.
 気になった作品は,

 書誌情報(とくに原著出版年)は改版の際ぜひのっけてほしい!

キ10 アニメクリティーク刊行会,アニメクリティークvol.4.0 戦争とアイドル/境界線上の〈身体〉(¥500)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で18日め.
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キ10 アニメクリティーク刊行会,アニメクリティークvol.4.0 戦争とアイドル/境界線上の〈身体〉(¥500)

アニメクリティーク刊行会 [第二十一回文学フリマ東京・評論|アニメ・マンガ・ゲーム] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「アニメクリティークvol.4.0 戦争とアイドル/境界線上の〈身体〉」アニメクリティーク刊行会@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー
 アニメを通じて思想を1つつくるというのは本質的に厄介な課題で,アニメを論じるうえで牽強付会がすぎればそれは欠点になるし,つくった思想のできが悪ければそれも欠点になるし,アニメを論じた箇所が思想と特にマッチしていなければそれも欠点になる.そういうわけで,思想をやめて作品論に特化した,羽海野,“白の記憶と冴えない彼女と―丸戸史明の描く虚像が地に落ち天に上るまで”や,あんすこむたん,“『ゆゆゆ』は何を残したか―語り直される歴史の「継承」”が相対的におもしろく納得いく論考になっているのは,ある意味でしかたないことではある.
 いちばん文句言いたいのは,すぱんくtheはにー,“Dance of the Dead——自然主義的フィクショナリズムと、殺せる身体の行方”で,実写みたいな滑らかさをアニメに導入した2つの例である「ハルヒダンス」と「ロトスコープ」とを比較した前半部分はすごくおもしろいのに,アニメに描かれるひとの身体がそれじたいはコマが静止しているために“死んだ”と言われる比喩を真に受けてしまい,それを“生き返らせる”とか“死なせる”とかいうことを重大そうに扱ってしまっていてへんだ.それはさきの“死んだ”の対義語であるのなら単に動かすということになるだけだし,さもなければ同じ単語でべつの意味を表しているだけで議論がごっちゃになっている.あと,タイトルにもある「自然主義的フィクショナリズム」をField, Science Without Numbers(1980)からとったと書いているがおそらくWikipediaしか見ておらず,その証拠にWikipediaにある「私たちが数学を行うとき、万が一、数が存在するならば、私たちは自分たちがある種の物語を語っているにすぎない」を読み間違って,「私たちが数学を行うとき、万が一、数が存在するならば、私たちは自分たちがある種の物語を語っているにすぎない」と解釈してしまっている.Wikipediaの訳もわかりづらくはあるのだが,こうして「と」を抜かしたかたちに読み間違った場合,フィクショナリズムのキモである“if 数が存在するならば X”という文のパラフレーズに登場するオペレータを,理論が採用する前提と読んでしまうことになるので,ほとんど逆のことを言ってしまうことになるのだ.まあ芸術におけるリアリズムというのはそもそも写実主義(勧善懲悪とか不自然だよね,とわれわれが思うときに拠っているそれ)のことであって実在論とはぜんぜん違うので,ここでは「フィクショナリズム」のかわりに,たとえば“ご都合主義”みたいなことばを採用したほうがいいのではないか.ディティールを書きこみすぎたらご都合主義であることが露呈してしまうことがあるよ,ということで論旨ともすなおに噛み合うだろうし.
 ほか,tacker10,“風穴を開ける―『ガッチャマンクラウズ』シリーズと、アニメの「再起動(リ・ブート)」”は,フキダシが実在する世界を描いた作品だけに,アニメのなかで描かれる物語とアニメ技法とを接続した論じかたがおもしろく,作品論としてバランスがよかったと思う.

B36 旅の道文庫,juke books 3(¥500)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で17日め.
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B36 旅の道文庫,juke books 3(¥500)

旅の道文庫 [第二十一回文学フリマ東京・小説|エンタメ・大衆小説] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「Juke books 3」旅の道文庫@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 商業デビューずみの4作家がミステリー短編4作品で作る同人本.
第二十一回文学フリマ東京で出す『Juke books 3』の話 | 旅の道第三停留所

 地本,“Kill the Past”は007ジェームズ・ボンドの諜報部スカウトまでをつづったアクションもの.この短さに複数のそれらしいアクションシーンを複数(カーチェイス,銃撃戦,肉体1つでの取っ組み合い)を盛り込んだぜいたくな作品で,おなじみのキャラクタも出てくる.
 久住,“レジスタファンタジスタ”は,サッカクラブの「ファンタジスタ」な選手から私立探偵へと転身した弟とその兄の話.事件の裏にあった,兄弟を手のひらで踊らせていた人物たちの発覚が,スタジアムで駆け回る選手たちをレバーであやつる卓上サッカゲームを思い起こさせてちょっとおもしろいオチになっている.
 鬼虫,“一人、或いは六人の容疑者”は,大流行のおそ松さんを思い起こさせておもしろかったので頒布をお願いする決め手になったのだが,6つの多重人格が定期的に入れ替わるおかげでだれが犯人なのかわからないという殺人事件を描いている.ロジックとしては薄いというか,犯人が最初に多重人格の1つ『牧師』を殺害した理由がはっきりしないなど不満もあるのだが,人格たちの証言に頼らざるをえないはずの探偵行為(なにしろこの探偵は殺害現場を見てすらいないのだ)を証拠として使う部分などはきれいだと感じた.
 皆藤,“彁”は,表題になっている幽霊文字をめぐる,前代未聞の“名前の読みかた当て”ミステリー.
 どの短編もやたら改行が多かったりなどライトノベル的なところはあるけど全体的に質が高く読みやすいと思う.表紙は4作品それぞれの意匠がちりばめられていてスマート.

 過去作はAmazonで買えるらしい!

Juke books

Juke books

Juke books 2

Juke books 2

C17 トリアトリエ,身削ぎの山(¥0)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で16日め.
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C17 トリアトリエ,身削ぎの山(¥0)

トリアトリエ [第二十一回文学フリマ東京・小説|エンタメ・大衆小説] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「身削ぎの山」トリアトリエ@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 福島県の家の裏山で遭難した「コノマ」は,雪のなかで女の子「イツキ」と出会い,この裏山がいつもの裏山ではなくなっていると気づく.戻った家ももとのようではない.窮地をなぞめいた鹿の化けものに救われた「イツキ」は,その幻想的な体験から数年後,祖母の遺品を見るうち,鹿の正体に気づくのだった.
 タイトルの「身削ぎ」はなんだろうか考えていたのだが,発音としては“ミソギ”つまり“禊ぎ”(身をすすぐことに由来している)なのだと思う,じゃあだれが禊ぎを経たのか? 俗世に戻った「コノマ」ではないように思う,祖母が現世でなすべきことをすませ,すっきり死にました,ということなのかもしれない.

B02 京都ジャンクション,京都ジャンクション 第八作品集 横断(¥300)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で15日め.
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B02 京都ジャンクション,京都ジャンクション 第八作品集 横断(¥300)

京都ジャンクション [第二十一回文学フリマ東京・小説|純文学] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「第八作品集 横断」京都ジャンクション@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 堅実な短編小説を毎号載せてくれる京都ジャンクションの最新号.前号までの私の感想はこちら(第5号第6号第7号).

 高瀬,“姉弟”は,父の死亡保険で2億円を手に入れてしまった姉(40歳)が弟(35歳)を過剰に世話焼く話を,姉を焦点人物として描いている.はじめのほうだと,大金があっても堅実に生活し,大きな病気の経験を機に,だらだら生活している弟(「光希」)を気にしはじめる姉(「見希」)に読者もすんなり感情移入して読んでいけるのだが,弟を結婚相談所に強引に連れていくあたりからだんだん「見希」がおかしくなってきて,「光希」が現在つきあっている大学生の家に勝手にあがりこんだりする.「光希」を焦点人物にしてプライヴェートなことがら(はじめて射精したのがいつどういう状況だったかなど)を描いている箇所はちょっとよくわかってなくて,はじめ読んだときは,もっと徹底して「見希」側で書いてあったほうが断絶を描けていいんじゃないかなと思ったんだけど,これはもしかすると,「見希」に移入して読んでいる読者までもが「見希」同様に,「光希」のプライヴェートに強引に侵入するようになった,ということなのかもしれない.
 安樹,“夜と朝の間は”も叙述がよくわからないところがあった.「新次郎」「宙太」「好」の3人が,死んだ友人「哲哉」を思いながらキャンプに行くという話なのだが,全編いちおう「宙太」が焦点人物だと思うのだけど冒頭だけは「私」が語り手になっていて,それがだれなのかわからない.もしかしたら死んだ「哲哉」がここにだけ存在するということなのかもしれない.
 大鴉,“キリンのたまご(二)”は前号のつづきで,あまり明らかでなかった「キリンのたまご」の描写が入るかわり,「サルミアッキ島」をめざす冒険譚としての側面は後ろに引いていて,それは次号に期待という感じ.エキセントリックなキャラクタの「安田さん」が育った家庭・家系が語られる5章は,世界中をめぐる旅が「安田さん」と切り離せない関係にあることが示されるので,今後の冒険をじゅうぶんに予感させるものになっている.

イ22 あめあがり,あめあがり(¥500)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で14日め.
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イ22 あめあがり,あめあがり(¥500)

あめあがり [第二十一回文学フリマ東京・小説|百合] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 降り落ちる雨粒の線を意識したとおぼしき縦長の組版が印象的な,小説|百合ジャンルの短編競作集.主催のあたみん,“ネクロフィリア”(p. 3-9)をはじめ,山階基,溺愛,三七十,萩原健吾,まりこねこの5名による9作品を収録.

 ポスト・アポカリプスの京都を歩み,少女の死体をかじってまわる「紅蓮」()と「シアン」(,p. 6の「シャル」は「シアン」のことだよね?)とを描いた“ネクロフィリア”は,機龍警察の作中作を引用する(自爆条項のあれね)などの無節操さが,作中の崩壊した倫理観とマッチしている.
 三七十,“渋谷”は,「マックフライポテトのMを/頭からかぶった/渋谷はなんだか/×××い街だ」という冒頭から,ポテトの「L」そして「X」と展開していくのがおもしろい(それだけに,「X」が組版で横倒しになっているのがちょっともったいない).
 ほか,荻原健吾,“阿梅”は,表題にあるような中国の名前を持つ登場人物が日本語の文章のなかで息づくさまが物語内容とはべつに緊張感をもたらしているし(「倭人」が倭の国の民ということではなくじっさいに小さいひととして登場するので1行めからドキッとする),まりこねこ,“あめあがり”はストーカの行為がエスカレートしていき,さらに最後まで読んでから先頭に戻るともっとおかしなテキストとして読めるという技巧が楽曲的でたのしい.

 通販もやっているみたいです.
あめあがり | あめあがり

オ53 食に淫する,Fantasy World ——腐しぎ世界——(¥300)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で13日め.
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オ53 食に淫する,Fantasy World ——腐しぎ世界——(¥300)

食に淫する [第二十一回文学フリマ東京・評論|サブカルチャー] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
 1993〜1996に生まれた10人の「腐女子」への個別インタヴューを収録.最近,溝口,BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす(2015)などを読んでいたので,これも興味深く読んだ.


 インタヴュイーはそれぞれ,相当に異なるものを求めてBLを読み,空想し,発言している.シアン(pp. 10-12)のように「エロはいらない」と言うひともいれば——そういえばこのシアンさんが古墳発掘(掘る)のバイトに勤しんでいるというくだりはできすぎている——,「関係性はどうでもいい」と言う透花(pp. 24-26),あるいは尊厳を奪うことで「ピンと来」て「受信」すると言う尊厳がない!肉便器bot(pp. 36-38).私じしんは,小さな空想に正のフィードバック・ループ(いや“性”の“腐”ィードバック・ループか?)がかかる環境が整ったことで,空想に空想を重ねてどんどん奇矯な方向に走ることができるようになった,という現象の一環としてこのインタヴュー集を見ていて,必ずしも「腐女子」のメンタリティに特有なものがあるとか,それが取り出されているとかというようには見ていないのだが,もちろんここで登場したひとびとの自称は重要だとは思う.
 「NL」や「ホモ」呼ばわりといった,外部からの批判にもうちょっと目を通していたら出てこないような部分も(インタビュアー・インタビュイーともに)あって,そこはげんなりしなくもないのだが,みーる(pp. 33-34)がインタヴューの最後で表明しているような,BLと恋愛話とが区別できるかもしれず,したがってBL妄想に適用する倫理のなかには惚気話に適用する倫理とは違うものもあるだろう,というような示唆はおもしろい.

イ62 段,ソラリス合同誌 二つの太陽がまた輝くとき(¥1000)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で12日め.
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イ62 段,ソラリス合同誌 二つの太陽がまた輝くとき(¥1000)

段 [第二十一回文学フリマ東京・小説|短編・掌編・ショートショート] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「ソラリス合同誌 二つの太陽がまた輝くとき」段@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 知性を持った巨大生命体惑星ソラリスを舞台にした,あのレムのSF小説 ソラリス(1961=2004,沼野・訳)を,いま流行のアイドルものとかけあわせた2次創作に供したら,さてどうなるか? 相手になるのは,アイカツ!(2012-),モーニング娘。'15,ゆゆ式三上小又,2008-),プリパラ(2014-),THE iDOLM@STER(2005-),スーパーロボット大戦

 アイドルの危険なところのひとつは,アイドルというのが孤立無援であるように見える,という点で,ステージのうえには1人で立たなくてはいけないし,たとえユニットで踊っているあいだであっても,インシデントへの対応は振り付けの範囲を超えてはならず,したがって意思疎通がままならない,という点だと思う.これは特に,がせ,“太陽の扉”(×アイカツ!)でよく表現されている.宇宙空間になんらかの任務を帯びて派遣されるアイドル,というのは異常な状況のように思えるが,その孤独さ,いまは手が届かないがゆえの仲間とのやりとりのかけがえのなさなどは,じつはステージのうえにいるときとあまり変わらないかもしれないのだ.
 そしてもう1つ,アイドル大量出現の現代において先鋭化した問題もある.アイドルはたくさんいる,かけがえのないアイドルはおらずだれもが無節操に「推し」を変えていく,そんな状況は現実以上にアイドル・ゲームの世界で切実だ.としをとることもなく,成長すらも気軽にリセットされてしまうために,「引退」がありえないゲーム内アイドルにおいては,このことはアイドルの入れ替わりというよりは,アイドルのますますの増加ということであらわされる.この大量出現のなかで希薄化していくみずからの価値に,アイドルはどのように立ち向かうか,これを扱った木口,“てんのうみよりきたるもの”(×THE iDOLM@STER)が,この本のベスト短編だろう.THE iDOLM@STERにおいて特徴的な,地の文とも言えるあの「プロデューサー」システムがあるからこその結末は,ホラーSF映画としてのソラリス(2002)を彷彿させる描写もあいまって非常にぶきみ,かつ説得的だ.ファンとしての己の記憶のなかから,ソラリスの海を使って,引退したとされるリアル・アイドル「天海春香」をよみがえらせようとする,ソーシャルゲーム版に登場するアイドル「島村卯月」,という筋に惹かれたかたは,ぜひ読むべきだと思う.(じつを言うと,ソラリスの特徴があるとはいえ,ちょっとアンフェアな記述もあるとは思うのだが)
 ほか,とまる,“ソラリスを待ちながら?ぷりっ!”(×プリパラ)は,ソラリスがプリパラ(そのなかではだれでも姿かたちを変えてアイドルになれる)に来てアイドルになる,というホラ話に挑んでいておもしろい.追田,“Beyond the time and space”(×モーニング娘。'15)は,さきごろ現実に卒業が発表された鞘師理保のソラリス幽体「リホ」がブロードウェイで過ごす日々を,コンテンポラリー・ダンスを教える語り手「ギンズバーグ」の視点から上品な筆致で語るすぐれた作品だった.ラストで語り手が迷いこむ幻想は静かな感動を呼ぶ.p. 37の

なんだか私はここで、政府のお偉いさんと、科学見識者ぶったことを話すのに馬鹿馬鹿しくなってきた。ふん、幽体Fだからなんだと言うのだ。私は相手と意思疎通が取れ、そしてその相手に幾らかの筋肉さえあれば、いくらでも肉体で会話できる。テレビの企画でサファリパークのオランウータンと踊ったことすらあるのだ。

みたいな頑固さゆえに柔軟なプロ意識の描写とか堅実でいいなあと思った.

 下記から通販もできるそうなのでぜひ! Amazonギフト券にも対応!

ソラリス合同誌『二つの太陽がまた輝くとき』 — 自家通販のお知らせ

オ09 早稲女同盟,いばら道vol.1(¥300)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で11日め.
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オ09 早稲女同盟,いばら道vol.1(¥300)

早稲女同盟 [第二十一回文学フリマ東京・ノンフィクション|エッセイ・随筆] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「いばら道vol.1 早稲女×セックス」早稲女同盟@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 13人の「ワセジョ」が寄稿したエッセイメインの同人本.なんでみんなこんなにセックスの話ばっかり書いてるんだ? と思ったがそれは当然で,今号の特集は「早稲女×セックス」なのでした.
https://d3n98kyr7trnfl.cloudfront.net/paperclip/products/pictures/8c93846908050f636cc638cbb9c4c0f7ba1d1709_large.jpg
 どれもセックスについてなんらかの不幸・不満足の影が覆っている話ばかりで,語り手が唯一自虐に走らずに終わっているように見える作品の,がおちゃ'15,“早稲女×はじまり”でさえも,このp. 23の男性の笑顔の仮面じみたうさんくささ(女性のほうの一喜一憂の表情の豊かさと比べてどうよこの固まった顔は)を見ているとやっぱりこのあと不幸な道行きになるんだろうな……と思う.恋愛自虐やセックス自虐っていうのはよく見かけるものではあるけれど,もしかしたら「ワセジョ」のイメージからはちょっと外れているかもしれず,その意味で「既存の早稲女イメージをぶっ壊したい」という巻頭のことばには合っているかもしれない.
 まあ恋愛やセックスについて不幸な話が世にあふれるのはなんでかというと,恋愛やセックスについてのモデルというのがあまりに幸福さの規定をがちがちに持っているので,そのモデルから自分がちょっとでも外れるともう気乗りしなくなってしまう,うまくいかなくなってしまう,ということが大きいのかなと思う.私たちは恋愛やセックスにかんしてはとくに理想が狭すぎて,ちょっとしたことですぐ不幸になってしまうのだ.仮に1人が満足していても,他のメンバがほんの小さな不満を持っただけで,小同盟は崩れ去ってしまう.
 石狩ジュンコ,“早稲女×ニコラス・ケイジ”は,語り手がニコラス・ケイジの妻になるというホラ話で,ダジャレオチがおもしろい.

イ51 ケシュ ハモニウム,続往復書簡傑作選(¥500)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で10日め.
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イ51 ケシュ ハモニウム,続往復書簡傑作選(¥500)

ケシュ ハモニウム [第二十一回文学フリマ東京・小説|短編・掌編・ショートショート] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「続 往復書簡 傑作選」ケシュ ハモニウム@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 前回お分けいただいた *にっぽんトワイライトばなし*も好きだったのだが(私の感想)この掌編集もとてもいい.うーん,こういうものが書けるようになりたいよね…….好きな作品を以下に.

 “連弾”:読み始めてすぐに語り手のとっつきづらさが(ある種の感情移入のしやすさとともに)わかってくるのだが,物語の最後になってからまた初めを見返したときに語り手がいまいる時点がはっきりして,その残酷さをさらにあぶり出す.
 “爪”:書き出し「そういえば、もう何年も爪を切っていないな。」が鋭い.そしてこの短さだからこそぎりぎりで成り立つオチがうまい.
 “盗むなら風のように”:幻想的なイメージに溺れすぎないあっさりとした幕引き.*にっぽんトワイライトばなし*でも感じたことだが,物語というものをどこで切るべきかわかっているなあと感心した.これだけ自分のイメージをコントロールできたら気持ちいいだろうな…….
 “ハネムーン”:これや“リンデルハルティン”にも見られるのだが,こういう,へんな病気を思いつく空想力はなんなのだろう! 現代日本人をふつうにやっていると得られない能力だと思うので,どこかに教養というか,なぞの病気こそが切実な恐怖であった時代とのつながりを感じる.
 ドイツ軍侵攻を教師の視点から描いた“迷い子の流れ星”も,一見まじめに見えてよく効果のわからない叙述トリックが入っていたりなんかして,つまりどれもホラ話なのだが,定型的なツッコみがしづらいボケをかましてくる,そしてこちらのツッコみは無視して次の文が続いていく(そりゃそうだ,私がいくらツッコんでも文は照れ笑いしたりしない)文学特有のおかしみを存分に使っている,楽しい本.

カ39 都市回遊,スーヴェニールのなかの都市(¥1000)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で9日め.
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カ39 都市回遊,スーヴェニールのなかの都市(¥1000)

都市回遊 [第二十一回文学フリマ東京・評論|建築] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 観光名所のミニチュアを,液体のつまったガラス球に閉じ込めたおみやげ品,スノーグローブ.旅先の記憶を思い返すよすがとなるこうしたスーヴェニールは,都市それじたいの抽象化・自己表象となっており,それじたい研究しがいのあるものです.
 この同人本はそんなスノーグローブなどの建築スーヴェニールを,フルカラー写真で紹介してくれるすぐれた資料本です.同人の稲益裕太・小粼晶子のおふたりは都市を専門に研究した経歴を持っており,論考も複数出版されているとのこと.
 言われてみればスノーグローブは,小さい空間にその都市の名所を詰めこむことが多く,地理関係を無視して都市を圧縮するという面があります.その結果,建築としては1つのセットになるものとして作られているものが,圧縮の過程で一部を切り捨てられてしまったり,また逆に,切り捨てられてしかるべきと思われるものが,意外にも忠実に再現されていたりと,都市表象において現地ではなにが重視されているのかが浮き彫りになってくるわけですね.前者の例はp. 13のイタリアはヴェネツィアサン・マルコ広場のミニチュア,後者の例はp. 53の長崎の軍艦島のミニチュアでしょうか.また,p. 39のベルギーはブリュッセルのアトミウムのように,建築そのものが極度に抽象化された構造を模している(鉄の分子構造模型に似せている)せいで,ミニチュアもそのほぼ完全なコピーになっており,来歴を知らなければ別のものに見えてしまう,というおもしろいものもあります.東武ワールドスクエアのミニチュアとかもあったらたぶんこういうことになるだろうな.
 ミニチュアから得られる視点のひとつに,全体像を把握できる鳥瞰的視点があります.建築というのはときとして巨大で,人間の視点からでは全体を鑑賞できないことがあるので,こうした視点は役立ちます.私がはっとしたのは,p. 41に紹介されているベルリンのユダヤ博物館のミニチュア・マグネットで,これは「建築自体が強烈なメッセージ性をもっている」にもかかわらず入館者にはそれがわからないため,ミニチュアとして全体を見てとれることが鑑賞に必須の要件となっているわけです.
 正誤表が入っているなど書き手の誠実さも感じられ,読んでいてとても楽しい本でした.通販もしてくださるそうなので,下記ページから入手されてはいかが?

https://www.facebook.com/citta.nel.souvenir

エ58 喫茶モンスター,別冊カフェモンスターVol.06(¥500)


第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で8日め.
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エ58 喫茶モンスター,別冊カフェモンスターVol.06(¥500)

喫茶モンスター [第二十一回文学フリマ東京・ノンフィクション|その他] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「別冊カフェモンスターVol.06」喫茶モンスター@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 きのう紹介した「東京行ったことないとこ探訪記」でもちょっと名前が出てきたので,次はこちらのカフェ探訪記を紹介します.Vol. 05の私の感想はこちらに書きました.
 いつもかわいらしいイラストといっしょにカフェの個性を引き出して紹介してくださる同人さんで,今回も40弱ものお店を掲載しているため,あっ表参道の文房具カフェについに行かれたのですね……(ランチョンマットに落書きができるカフェなのでイラストレータのかたがよくいらっしゃるのです)とか,吉祥寺のプリュスカフェの美容院っぽさはほんとなんなんでしょうね(じっさい,上のフロアのヘアサロンと併設なんだけど)とか,共感ポイントはたくさんあります.でも,今号の目玉はなんといってもショートコミック「ラテっこ吸血鬼」ではないでしょうか……子どもなので血液が飲めなくてミルクを飲んでいる吸血鬼(ミルクもまあ乳牛の血液みたいなもんですが),というのと,ブラックコーヒーが苦手でラテばかり飲んでいる,というのをかけていて,最近とみににぎやかになってきたハロウィンの夜からちょっと離れた,一種の避難場所としてのカフェを魅力的に描いています.

オ13 アリマカナコ(ごはんと女の子),東京行ったことないとこ探訪記(¥400)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で7日め.
私が第21回文学フリマ東京で買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(23評/23冊) - kugyoを埋葬する

オ13 アリマカナコ(ごはんと女の子),東京行ったことないとこ探訪記(¥400)

アリマカナコ(ごはんと女の子) [第二十一回文学フリマ東京・ノンフィクション|ルポ・ドキュメンタリー] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
「東京行ったことないとこ探訪記」アリマカナコ(ごはんと女の子)@第二十一回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 コンセプトカフェ,略してコンカフェ.メインの飲食以外にさまざまな付加価値をつけたところそっちの価値がメインを食ってしまったような,そんなカフェを指す言葉だそうだが,そのコンカフェのマニアが,キャバクラとか寿司屋とかステーキ屋とかに行った食レポ集です(食じゃないのもあります).


 食レポというと,分量が多くて気合いの入ったものはそれだけ制作にコストもかかるため,スポンサがついていることが多くてなかなか冷酷なことは書き表せないものなのだけど,同人本だとそのへんに気安さがあり,「しょっぱい」感想もけっこう入っています.書き手のテンションが載らずにいまいち盛り上がれなかったとか,お店のフロアまわしがあんまりうまくなかっただとか……ただそういう感想を抱いたときでも,書いているうちにそれはそれで楽しくなってくることはあり,それが伝わってくる本でした.各記事で扱われている店舗のメインの出しものの紹介よりも,それ以外のディティールの記述でそう思うことが多かった.こう,行く場所によってぽつぽつなにかを思いつくことがだれしもあると思うんですけど,それってほとんどはたいしたことではないから忘れてしまうわけじゃないですか,そういうのをひとつひとつ拾って,ゆるい構成のなかに雑多に配置して書いてあって,ああなんか他人の考えてることを覗いている感じってこんなだなあ……と思う文章でした.これはなかなかできないことだと思います.もしかしたら現地の写真なんかを見て思い出し書きしてるのかもしれませんけどね.
 あと,読んでいてどうも一抹のさびしさをおぼえる,これはなんでだろう,表紙になっているボヤケた原宿通りの宵の写真のせいかな,と思っていたのですが,どうもこの食レポ集,お店から帰るところをどの記事でも入れてあって,それがなんとなく別れだとか,一期一会の無常さだとかを感じさせるのかも.どんなすてきな夢の空間でも,最後はお会計して,雑居ビルのきたならしいエレヴェータに入って帰らなきゃいけない.それってさびしいことではあるけど,たまに夢のかけらが居残ることもあって,そういうときひとは,たとえば友達を連れて再訪したり,お店のキャストにLINEを送ったり,同人本に感想書いたりするのかもしれません.
 noteでも連載がつづいているそうなので,立ち読みをおすすめします.

読書の秋に紅葉“借”り

  • 美術を書く,(2014,竹内・監訳),美術に特有のことが書かれた1-4,7-8章だけ少し読んだけど,のこりも大変役に立つ.ダジャレ注意もある! 「これらの的外れな音の繰り返しは、言葉への過度の注意を喚起し、あなたの主張の妨げになる。」(p. 180),まったくだ!
  • 匂いの哲学,日本語版序文では,小山泰史,山本直樹,Maki UEDAの名前が,現代の嗅覚芸術家としてあがっている.嗅覚芸術の歴史についてたいへんすぐれた本だと思う.Maki Uedaらが所属する,グループ「すけべにんげん」は,オランダで上演した作品などがある:すけべなパフォーマンスの薫香
  • マーサ・ヌスバウム - 人間性涵養の哲学 (中公選書),バトラー批判やスピヴァクの応答への再反論として,あなたがたのやってるのは白人中流階級が安全に痛くなるためにすぎないだろ,っていうことを言っていて,まあそれはそれでもっとも.私はシンガーなど同様に苦痛の個人間比較はできるという立場なので,精神科医に通い詰めてる大学教授の肩をつかんで揺すぶってやるのにはわりと賛成しています.
  • ヘイト・スピーチという危害(2012=2015,谷澤&川岸・訳),かなりよかった.ヘイトスピーチ(や,この本でも言われるとおり女性を物象化する表象)が,ひとに不快感をもたらすからではなく社会の公共財を壊すからいかん,って議論で,おおすじ賛同だが壊す公共財は安心や尊厳ではないと思う.ヘイトスピーチを行うがわだって,これぞ安心できる社会を作る手段だと(建前上は)信じてるわけなので,ことが公共財である以上,どちらの安心をとるかは難しくなる.壊されるのはむしろ,近代社会が前提するべつの価値,たとえば個人の優位とかでは.
    • で,歴史的にそういう価値と対立していた表現は,たとえ中流マジョリティの感覚では無害に思えても,糾弾する理由があることになるだろう.
      • ウォルドロンは,集団へのヘイトスピーチも個人の尊厳を侵害する,だからいかんのだ,と個人主義的な面を強調するが,私はこれけっきょく個人の不快に依拠してしまうと思う.たとえ成員みながよしとしててもなお,個人の尊厳を侵害する社会はよくない,という不偏的〔impartial〕な価値を強調すべきでは.
      • 物象化の危険を指摘する議論にも,物象化って楽しいこともあるとか,べつのことを見いだしてエンパワされるひともたくさんいるとかの主体説的な反論があって,再反論としては,それは調査結果と矛盾する(社会学)が最強だけど,不偏的な価値を持ち出せば哲学的にも五分まで持ち込めると思うんだよね.
    • 言論の自由の便益との比較考量になるので,一面的な線引きは難しいが,でも立法ってそういう困難な作業をすることじゃん,ってのはそのとおりだと思う.ただ,比較考量といっても,思想・言論の自由はたとえば表現としての放火みたいなのまで守りはしない,という指摘はだいじ.発話行為で公共財を破壊したらそれは言論の域を超えるわけだ.
    • あと,ヘイトスピーチがある社会は安心かって問いについて,「ここには排外主義者はいませんよ」みたいに明言せんといかん社会は,危険がその場になかったとしても安心ではありえない,なぜなら安心とは危害がないだけでなく,それが暗黙的である必要があるから,って指摘がおもしろい(p. 104).

最近借りた本のリスト.

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ウ30 かなめ珈琲会,包丁研ぎます(¥0)

第21回文学フリマ感想 Advent Calendar 2015 - Adventar,はじめました.この記事で4日め.
私が第21回文学フリマ東京で買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(23評/23冊) - kugyoを埋葬する

ウ30 かなめ珈琲会,包丁研ぎます(¥0)

かなめ珈琲会 [第二十一回文学フリマ東京・小説|短編・掌編・ショートショート] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
[R-18] 【文学フリマ】「包丁研ぎます」/「中町 日名子」の小説 [pixiv]

 短編小説BLと銘打たれた無料配布本.
 大学入学とともにアパートで1人暮らしをはじめた「入谷」の部屋の向かいには,「包丁研ぎます 五○○円」と張り紙が出してある.実際に包丁を持って行ったらそこの住人に研いでもらえたのだが,住人はどうやら部屋で売春をしているらしく,夜な夜な扉を開けて客が入っていくところを見ているうちに,「入谷」は「二宮」と名乗るその住人のことが気になり出す.
 これ,設定としてうまいのは「二宮」の部屋を廊下の向かいの部屋にしなかったところだと思う.完全に真正面だと,扉を開けてのぞくのが不自然になってしまい,ドアスコープを使うことになっただろう.男から女への欲望を基調として発展してしまった文学ってジャンルがあるんですけど,そっちだと,そういう窃視を軸にお話を展開するんじゃないかと思うのだが,この作品では「入谷」はあくまでも自分の部屋の扉をそっと開けることになっている.これが,大学入学で独立生活をはじめた誇らしさ(“新しい扉を開ける”ってやつ)の描写にもなっているし,窃視とはちょっとちがうフェアさへのおずおずとした配慮の表現にもなっている.じっさい,「入谷」は「二宮」に見つめ返されることにもなる.
 あと,もう1つ無配の短歌集があって,そこに収録されている連作「となり町」の構成がよかった.思い人がとなり町(そのていどの距離)のところに行ってしまったさびしさを,乱暴なところのある動詞を並べることで際立たせている短歌なのだけど,最後のところでどうも飛行機に乗るような歌が3首つづくのね,エッと思って読んでいると「大きな犬を飼う人の瞳」とか「看板が標識が黄色」みたいにどうも人種がちがうひとのいる異国に行ったみたいになっている(この際,日本の標識も黄色いのが多いという事実はさておく),おいおいとなり町はどうしたよと思うわけですが,その直後の最後の首が「さみしくて買う温泉の素」ということで一気に帰国したことになっている,このあいだになにがあったのかは想像するしかない.ないんだけど,海外に気分転換に行っても晴れないどころか「失くし物をした気になった」のように気がかりはつのるばかり,という状況が印象的に表現されていると思う.
 前回の私の感想はこちら