あなたのkugyoを埋葬する

主に読書内容の整理のためのブログです。Amazon.co.jpアソシエイト。

 春にやる勉強会の方式を考えたのだが、どうもうまくいかない気がしている。うまくやりたいので、うまくやるための知恵を拝借したいところ。

  • 前準備として、文芸誌の最新号から短編をいくつか指定する。
  • ホスト(つまり私)は、それらを論評する。
  • 論評の視点は、「どうしたらその作品を"改良"できるか」という批判的なもの。
  • 毎月(あるいは毎週)やる。

 なにを考えてるかというと、現代日本の最前線にある文学作品をネタに、批評力や議論力、あとついでに、実作に使えるだろう編集者の眼(あくまでオマケだけど)を身につけたい。
 さらに、常に最新号を扱うこの形式なら、先行研究に頼りまくることはできない(方法論を持ち込むことはできるし、すべき)し、ということはつまり、知識に差のある二者が能力だけで争うことができる純度が高くなる。と思われる。


 ああ、もちろん、知識があるのが不純だとかずるいとか思っているのではない。そうではなくて、二者に知識の差がありすぎると、知識のある側は与え手に回りすぎてつまらんだろうな、ということ。


 我々はしょせん大学生なんだから、すげえ大バカなことを言っても、得るものこそあれ失うものは何もない(何かを失ったかのように思いこんだり、何かを失わせたりするのは、とりあえず議論の場ではやめてほしい)。だからこそ、もっとフットワークの軽い活動をすべきだと思う。フットワークが軽いというのは、あんまり時間をかけずに危ない橋をずかずか渡っていくことだから、ぽんと出された文芸誌にぴょんと飛びかかって、主戦力が来る前にあがくって試みは、まさに我々がやるべきことだろう。それで主戦力が出せないような戦果を上げることができたらすばらしいしね。
 他の文芸サークルのことをよく知らないからあまり強いことは言えないけれど、文芸誌を読んで何か言える人間が何人もいるサークルってのは、おそらく私が所属してるところだけだろうから、やるとしたらここでやる。


 さて、あとはまあやるだけ、なんだけれども、いちばん気がかりなのは、「私にちゃんと"改良"がやれるのか?」というところ。
 改良するためには、作品から問題点を見つけなくてはいけない。ということは、まずその作品が何を目指しているとみるのか決断しなくてはいけない。ひじょうに単純に言えば、「この作品はこういう目的で書かれたと思うが、だとするとこの部分はその目的を達成するのに不十分だ」という形。そんなことがはたしてできるだろうか?
 もっとはっきり言うと、いま考えている勉強会では、「この作品は(こんな視点を取り入れると)こう読めます!」というだけではいけない。テクスト論批判でよく言われることだけど、そうしたやり方はテクストの可能性を開いたが、その前提にテクストの聖典化が来てしまっているのだ。今回はそれを避けるのだが、それは楽なことではない。
 うまくまとまっていません。でも、とりあえず、この勉強会をやるにあたって私が抱えている問題というのは、こんなところです。たぶん、勉強会の設定がちょっとよくないし、私の能力に関しては、やってみないとわからない。何が問題なのかもはっきりしていないこんな状態で知恵を借りようというのもどうかと思いますが、どうかと思ったひとからは知恵を貸していただけないでしょう。
 今日はここまで。とりあえず明日、現物の文芸誌をひとつ持って、どなたかと話をしてみます。