WBvol.010
大学の生協にボールペンの換え芯を買いにいったところ、WASEDA bungaku FreePaperのvol.010を発見。さっそく1部いただいてきました。
それをざっと見ながら、
「若島正と川上未映子との対談、nanakikaeの連載「日々是懶夢」、ヴィジュアルのMami、これらに現れている女性表象は、非常に男性的な視線が向けられたものになっていて、斎藤美奈子の書評とphotographers’ galleryとがなんとかそれの中和を試みている」
という誌面構成を、友人が読み取っていて、まあphotographers’ galleryについては冗談だ*1としても、そんな感じであるなあ、と納得していました。
若島と川上との対談については、男性の若島が論理を担当して、それが強すぎるためかもしれませんが、川上が感情を担当しているように見える。たとえばこう。
[若島]いろんな経緯をたどっているんですけど、うちの母親はまず本を読まないひとだからね、まず家のなかに本がないわけね。で、ただ1冊だけ置いてあったわけ。
[川上]なんの本?
[若島]当てましょう。当たりにくいよ、これは。まったく本を読まないひとが1冊だけ家に置いてあったんだよ。
(中略)
[若島]谷崎(潤一郎)です。
[川上]あ……! わたし谷崎かなって思ったんです、一瞬(爆笑)。まじで思った! ほんまに、まじで思った、谷崎かなって。
あるいはこう。将棋盤を一筆書きする話。
[若島]角とか金やったらいけるとかいけないとか、わりとすぐわかるんだけど、じゃあ問題。銀で81画、一筆書きでいけますか? ただし、途中で裏にならないこと。
[川上]いけない!
[若島]それはまあちょっと……ごめん(笑)。
[川上]勘じゃダメなんですね(笑)。
さて、これで、ほら見ろ、というのはどんなやつでもできる。年上の人間が年下の人間に問題を出す、という構図の暴力性とか、そもそもこういう記述ばかりを恣意的に抜き出してしまう私(kugyo)の視線の男性性とかも、WBを読むぐらいのひとならすぐ指摘できるでしょう。
まあでも、これって言葉の表面的なところしか見てない話で、こういうのをいくら見つけても、見つけるだけでは新しい境地はなさそうです。それよりも対談の中身を見るならば、川上はホストであるのに自作(代表作)について踏み込まれすぎで、これでは第2回以降どうするのか、心配になります。若島はひととおりおもしろい話をしているんですが、これしきのことをWBでやってもらってもなあ……。
ちなみに、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』についての若島の踏み込みも、いままでとっくに語られてきたものばかりなので、特に新味はない、もっと鋭くやってほしい。あるいは『イン歯ー』にそれほど読むべきところがないだけなのか、いや、あれは読みこむべきところなどなく、ただ味わいがよいというだけなのか? それはそれでもちろん才能だが、分析にはあまりそぐわない。「新潮」10月号の豊崎由美による評も、書評ではなく本の紹介に終わっているし、同じ号に載っていた斎藤環による評もほぼ半分が引用で、「ダブル・コンティンジェンシー」の話のつまみとして持ってきたような感じ。
Mamiによる写真は、初見よりもう少し読み込みがいがありそう。「日々是懶夢」はブログも見ましたが、はあ、”文学少女”シリーズはお読みになりまして? というぬるいぬるい感じ。他の論者たちに失礼である、という立場を私はとりたい。
と、不満も多いvol.010ですが、福永信の連載が誌面のあちこちに潜伏しているとあっては、そんなこんなはどうでもいいです。福永信については今後まじで戦わなくてはならんと思っている。
- 作者: 野村美月,竹岡美穂
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
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*1:2枚の写真、1枚目では男女が海沿いの崖におり、2枚目では崖に立つ女性が背中から撮られている、すわ殺人か!? なんてね。