あなたのkugyoを埋葬する

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略語の問題

 「顧客アクタ変換プロセス世界観所有者環境分析」とか、「ギロチン誘導切断式配置最適化」とかは、正式な和訳がぱっと出てこなかったので、自力で訳した。しかし、特に前者はわれながらひどすぎる、それぞれ、「CATWOE分析」、「LOGIC」が正式名称。
 こうして学んだばかりの知識を定着させようとしているのだ。かんべんしてください。

  • かんべんしてください
  • かんにんしてえな
  • かんにんな
  • かんべんしてよ
  • べ、別にかんべんしてほしいわけじゃないんだからね!(反語)
  • かんべんかんべん、ジョルジョ・アガンベン

このようにいろいろなバリエーションがある。好みの順に並べているわけではない。ただし、ヘテロな男である私が女に言われることを想定すると、やはり「かんべんしてください」がよいかな。言われたあとで下くちびるをかまれる*1のだ。


 ところで、(男女問わず)ヘテロであることを強調すると、ホモフォビアという批判をされうるわけだが、ではホモであることを強調すると、ヘテロフォビアとなるのだろうか? まじめな疑問ではない。


 そうそう、昨日は所属サークルの勉強会でこの映画を見たんだった。

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 男の2人旅にすかさず女を混ぜてくる、典型的なホモフォビアの視点が読み取れますね、という感想は、まあ正しいと思う。しかしこれは女をいたずらに持ってきたわけではあるまい。つまり、2人の共通項(映画と女)のうち、映画のほうは画面内で説明する必要があるものだから、もう1つは説明しなくても受容者に伝わるものにする必要があって、それで作り手は女を選択したのだろうな。
 最後、鳥取の海沿いの土手(土手って言うのかな?)を2人が歩いていき、そのうしろからもう1人が歩いてくる。最後の1人は前の2人と同じフレームに入ることはない。この1人を、これはなかよくなった2人が"映画監督"というひとつの仮構人格に融合したものだ、と読む意見があって、おもしろかった。


 それにしても、男2人が劇中で表明する意見はまったく鋭いところがなく、ちゃんとステレオタイプな映画志望の若者に撮れていて、特にセリフがすごい。映画や演劇のステレオタイプではなくて、日常にあるステレオタイプ、要するに「よくある」ように撮れているのだ。ちゃんとどもるし、一貫した会話もほぼない。これは役者もすごいが、脚本がどうなっているのかも知りたい。文字媒体でのセリフの不自然なよどみなさをどう解消するか、というのは、小説家志望ならとうぜん考えているはずのテーマだが、映像だとこうやってちゃんと解決できてしまう。
 不自然なよどみなさの問題、解決法はいろいろ。どもりまでちゃんと書いてみようとするのもいいし、無視してよいとしてもよい。いずれにせよ、その解決法いかんによって、かなり自分の表現が規定されることには気づくべき。頭を使わない小説家など、もう人類史上に出る幕はない。
 ちなみに私は、そのよどみなさの不自然さを作中に盛り込んだことがある。なつかしいね。いやいやじつは、これは今後ずっと私の小説の主題になるかもしれないと、ひそかに思っている。

*1:すごい、なんて色っぽい悪文だ!