あなたのkugyoを埋葬する

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"M@D AGE"その4

 次は『アトラクション』。これもよい。著者はid:hidakananigasiさんであると推察される。


 『大都会交響楽(1)』が基本的に2者間の対話で全篇が構成されていた(そして会話文の書き方がすごくうまかった)のに対して、『アトラクション』はモノローグ形式のなかに「髪が長く痩せている」男が幾度となく入りこんでくる形。
 一人称モノローグの小説を書くうえで必ず対峙するはずの人称の壁について、このひとはちゃんと考えていて、語り手は「ぼくは俺は」という一人称を使う。

区別が必要なのだ。そのための言葉が。全てのものに固有の名詞をつけなくてはならないと思う。とりわけ鈴木さんと佐藤さんは改名するべきで、しかし誰もが改名するべきで。「ぼくは」「俺は」という代わりの、自分を措定する言葉がほしくて、ぼくは俺は、吐き気が。

「自分を措定」という言葉づかいにはちょっと詰まらんでもない(だって「措定」ってあるものを対象として立てることなんだから、「自分」を先取しちゃっちゃいかんでしょ)が、まあそれはいい。語り手は二重に一人称を重ねることで、おのれの男性性を確立しようとしているのだな、なんてのはいま思いついた読みかた。


 どこへ行っても「髪が長く痩せている」店員がいて、どいつも「ありがとうございます」と「同じことを言う」ことへの、サルトル『嘔吐』的違和感とまとめてしまえばだいぶきれいに収まってしまう小説だが、そこから「である」の執拗な否定につなげるのがいいと思った。


 「ややもすればあとがき」には

じゃあ何を読んでほしかったのかというと、ある言葉を書いたとき、次の言葉がしぜん書かれるということ。

とあるが、これはむしろ次の『壁に向かって話す男』によく出ている。これは「やにさがる」という言葉をモチーフに、たぶん会話文の練習として書いたんじゃないかと思う。やや表現が冗長(「一言一句細大もらさず今も覚えていることができたのかといえば」など)な部分があって、これは流行のライトノベルと似てしまうからやめたほうがいいだろうけれど、それを回避できればもっとすてきなものになると思う。
 なお固有名詞、もっと言えば作品名の使い方がややぞんざいなのは『アトラクション』と同様。作中に「ルパン三世」を出しちゃったら、そのあとずっと読み手の頭には「るぱんるぱーん」が響いちゃうじゃないか。固有名詞には強いイメージ喚起力がある(だから「主人公の名前がランスロット」式の小説はダメなのだ)のだから、もっと気をつけて使ったほうがいい。


 『孤高の格闘家、世を妬む』は余勢で書かれたものと見ていいだろうか、二人称小説でこの文体だとやっぱりネタ元がわかりやすすぎるんじゃないだろうか。前3作品ほどの傑作感はない。


 『自室』は描写が退屈、作者にはもうちょっと自室から出てきてほしい。ドラッグストアのネームプレートのくだりは、もうちょっとうまく書いたらぐっとおもしろくなったと思う。


 というわけで"M@D AGE VOL.1"、総じて非常に満足した冊子でした。作者の皆さん、どうもありがとうございます。


 しかし、このペースで35冊レビューできるか? 第6回文学フリマ24、レビューはリアルタイムで起こっている……。