あなたのkugyoを埋葬する

主に読書内容の整理のためのブログです。Amazon.co.jpアソシエイト。

自室』は描写が退屈、作者にはもうちょっと自室から出てきてほしい。

2007-11-15 - kugyoを埋葬する

という感想文について、もうちょっと詳しく述べる。もっとはっきり言うと、この感想文の正当性を論証しようと試みる。


 まず、この小説、タイトルを『自室』としたことで、タイトルをひとつの強力な解釈項として見るひとびとには、ある閉塞的なイメージが生まれることが予想される。(既存の、自室を舞台にした多くの小説は、たとえばドストエフスキー地下室の手記』のように、独白的であり閉塞的であった、ということを、いまここでは文脈として持ってきている。乱暴に言えば、これってひきこもり小説じゃねえの? と思ってページをめくった読者を想定したのである。)
 しかし、そうした期待に反して、鬱屈した独白がはじまることもなく、語り手は出かけてしまう。ここで読者の期待の地平はずらされる。この小説がほぼ全編、語り手の見る光景の描写とそれへの反応で占められている、とわかった時点で、つまり読了時点で、「いずれ語り手はなんらかの形で挫折し、自室に戻らざるをえなくなるのではないか」といった期待も打ち破られる。
 では、タイトル『自室』は、この作品についてどのように解釈項たりうるのか? くりかえすが、ここではタイトルに特権的な地位を認めた読者を考えている。この読者は、「自室」という言葉で解釈されるために用意されたといえそうな部分を小説中から探す。そのひとつの答えが、特に起伏なく続いていく「描写の退屈さ」である。*1すなわち、この「描写の退屈さ」は、モノローグ小説での「独白の退屈さ」と似ている。
 ここに至って読者は、『自室』というタイトルに縛られて、「描写が退屈だった」という印象を強くしてしまっている。これはタイトルが『自室』でなければそうならなかったかもしれないできごとである。そのような読者は、「『自室』というタイトルが描写の退屈さをうまく表していた」と作品を評価するよりは、むしろ、「『自室』というタイトルどおり描写が退屈だった」と評価するのではないか。


 さて、ここまでであれば、やはりただの感想文である。しかし、このような読者が想定できる、ということ自体は、感想文ではない。だっていま想定したのだから。そして、ひとたびこのような読者を想定し、このような読者にも肯定的に評価されたいと望むのであれば、作者は『自室』というタイトルをつけるべきではないし、もしくは、描写に退屈さを付与するべきではなかったのだ。
 もちろん、上記のような読者なんか知ったことか、という立場もありうる。その場合には、「この作品には欠点がある」とはまだ言えない。しかし、「もし上記のような読者に肯定的に評価されたいのであれば」という条件をつければ、「もし上記のような読者に肯定的に評価されたいのであれば、この作品には描写が退屈であるという欠点、もしくは『自室』というタイトルという欠点がある」と言える。


 と、ここまでが、15日時点での私の感想への擁護であった。しかし、現在の私は、こうした擁護を行ったことで、別の感想へと導かれている。


 『自室』というタイトルからの期待をずらされたうえで、描写が退屈であったという感想を抱きながら、ふたたび『自室』というタイトルをながめてみると、描写が退屈でありしかもタイトルが『自室』である、ということをうまく結びつけるような解釈がひとつ浮かび上がってくる。つまり、描写が退屈なのは、語り手がやはりずっと「自室」にいたからではないか? という読みである。*2この描写は語り手の体験ではなく想像であり、それゆえに(正しく)退屈になっていたのだ、と読むのだ。この読みに達した読者にとっては、少なくともこの作品のうち自明的に*3変更すべき箇所がなくなる。言えるとすれば、その解釈のためには、想像の描写があまりに退屈すぎるのではないか(想像力ってもっと物語的になってしまうのではないか)、あるいは、想像の描写なのにおもしろいところがありすぎるのではないか(もっと徹底的に退屈にすべきだったのではないか)、ということだろうか。


 もちろん、無理に変更すべきところを探す必要はない。ただし、上記のように読んだとしても、やはり私にとってはそれは凡庸な読みにすぎず、その意味で退屈な作品であることに変わりはない。そのうえで、もしこの作品を私にとってよい作品となるように変更するとしたら、こうしてほしいな、という願望はある。当然だが、それを受け入れる義務はだれにもない。

*1:描写が起伏なく続いているから退屈なのだ、という意見もあろうが、描写の退屈さが起伏なく続く、というふうに、ここでは読んでみる。

*2:これは一人称であればたえずつきまとってくる読みのパターンではあるが、それがこの作品では少し強化されるのだ。

*3:自明的に、というのは、変な使い方だ。よいこはまねしないでね。