周囲がガタックとかザビーなんだからカブトも改名すべき
つまりね、おれはあと9時間たらずで『1000の小説とバックベアード』がある特定の顧客層のニーズだかシーズだかを満足する商品であるというふうにプレゼンしなきゃならないんだけど、まずそういう商品が満たすべき品質ってのをまだ決めかねてるし、しかも『1000の小説とバックベアード』がそれを持ってるのかまだよくわかんない。
『1000の小説とバックベアード』はたしかによい小説だし三島賞はこういう本にあげるのがいいと思うようなそんな小説なんだけど、これは額面どおり受け取ればほとんど出るべくして出たというもので、はっきり言えばそんなに新しいことが書いてあるわけではない。わかっているひとには2006年11月(初出時)段階ですでに自明とまでいえそうなテーマだ、日本文学のフォーマットにガタがきてる疑惑なんてのは(ところで、日本文学一千年ですって? 百年強の間違いでしょう?)。
しかし、その疑惑はこの小説の額面においてもちゃんと疑惑でしかないし、さらにまた、そうした額面どおりのテーマからこぼれるものがここにはだいぶ挟んであるように見える。小説を読むってことが、その小説をたまごダブルマックって呼ぶことじゃなくてパティを見てケチャップを見てトマト味を見出す(それがトマトを原料としてるかどうかはぜんぜん関係ないね)ことだとして、おれにはいまのところ漬物? みたいなもんはいくつか発見できたけどそれがキュウリの漬物なのかピクルスなのか腐ったたくあんなのかはまだわかってないし、それがピクルスなのだとわかった(決めた)ところで、そのピクルスとほかの葉っぱ? みたいなもんと目玉? みたいなもんとが最終的にどう組み合わさってるのかもまだわかんない。
とにかく、たまごとビーフのシンフォニーでパーフェクトハーモニーできるかどうかは、『1000の小説とバックベアード』ではなくおれに一任されているので、まあなんとか読んでみるよ。本を読むなんてちょう苦手です。