あなたのkugyoを埋葬する

主に読書内容の整理のためのブログです。Amazon.co.jpアソシエイト。

これが! らき☆すた!

 バカ☆斉藤☆あっかんべ


 小説を読むのは疲れる。これは理論一般に応用できる話だと思うけど、読みの理論ってのは読みの実践を楽に駆動させてくれるわけ。理論があれば、読み手に特に読み出したいものがなくても、理論のほうで読みの方針や目標を指定してくれるんで、もうなんでも読めちゃう。構造分析批評とかジェンダー批評とか一部のフェミニズム批評とかマルクス主義批評とか思い浮かべてくれればよくて、こういうのはむしろ大衆小説相手のほうが使いやすいぐらい。別に理論の形をとっていなくてもさ、「こう読みたい」っていう欲望があればそれでもいい。オタク批判として読みたい、とかね。
 逆に言うと、理論や欲望なしに無手勝流で読み進めようとするのは非常に困難で、それでは読みやすい小説しか読めないのね。つまり「これなーんだ」って問いを小説のほうで立てておいてくれる小説。「『なぜかやる気が出た』とありますが、なぜやる気が出たのですか。説明しなさい」って具合で、明らかに問いっぽいものが書いてさえあれば、それはもう国語の入試問題に対するような読みかたでもじゅうぶん読めてしまう。もちろん一歩間違えば謎本的読み取りだけどね。で、最近読んだ本だと、そういう意味の読みやすさは
千バク>>人類>>>読書クラブ>幼年期>>>塩の街
でした。純文学って読みやすい。右側に行けば行くほどウェルメイド、それにつけても金のほしさよ。