あなたのkugyoを埋葬する

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「構造」という言葉の代わりに

最近買った本のリスト。

群像 2008年 04月号 [雑誌]

群像 2008年 04月号 [雑誌]


「群像」4月号の創作合評のことを、前の記事(「いますぐ『文学界』4月号を買いに走れ! - kugyoを埋葬する」)で書いたけれども、その創作合評で使われている「構造」という言葉が、たぶんおれの使い方にも近いだろう。しかし、それは学術的に正統的な使い方ではない。
 少し引用しよう。

伊井 (前略)
 以上のような粗筋では、この仕掛けに満ちた小説の紹介としては不十分ですが、あとは小説の解釈の領域に踏み込む必要が出てきそうだと私は感じています。そこらあたりは、小谷さんと清水さんにお任せしたいという気がしております(笑)。
清水 今のご紹介で、この作品の構造は十分すくいとられている気がするんですけど。あちこちに文学的知識や理論を取り入れ読者を挑発しながら、その先へ連れて行こうとしている、非常に野心的な作品ではありますよね。
(後略)


「群像」2008年4月号 p.370


 ここでの「この作品の構造」とは、「この作品のほねぐみ」と言い換えてよいものだろう。ところで、文学理論の場で「構造」と(マジになって)言うときには、とうぜん構造主義との接続が視野に入っていなくてはならない。でも、いま引用したような、ひとつの作品の「構造」というような言い方は、構造主義とはほとんど関係がないように思う。どこに二項対立があんの? とか、それって要素に還元できちゃうんとちゃう? とか。せっかくだからもっと構造主義使って思考しろよおまえ! である。
 そういうわけで、代替語を考えているんだけど、「図式」では物語論に寄り過ぎるし、「設計図」ではデザイナ(作者としてのデザイナ)の存在や影響を前提してしまう。「配置」「配列」までいくと配置されている要素をはっきりさせないと怖い。「経済構造」ってのは「体系」とか「システム」とかに近いからそれもいいかなと思ったけど、「システム」はシステム学の立場からすればありえないし、「体系」だと壮大すぎる。
 物理学(や化学)では「構造」はどうやって使ってるんだろうね? なるべく、学としてしっかりしてるものに倣いたいところ。でも数学における構造はむりだな。


 ところで、『ゲーム的リアリズムの誕生』見ても、やっぱり「構造」はカジュアルに使われてるねー。