あなたのkugyoを埋葬する

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早稲田文学、完全復刊おめでとう

 川上未映子ですらブログを書籍にする、それが時代。


最近買った本のリスト。

早稲田文学1

早稲田文学1

 篠山紀信によるグラビアが巻頭(モデルは川上未映子だ)。写真の批評は絵画の批評以上に難しく見える、特に人物の写真が相手だと。そして、そう思った瞬間、私たちは、人物の本質は外見の装飾であると思いこみながら日々を(やり)過ごしてしまっていたことに気づく。
 作者にまつわる史実を知らなくても私小説を読めるのと同じで、川上未映子についてまったく触れなくても、川上未映子をモデルとした写真を読むことはできる。たとえば、モデルの左顎(向かって右側の顎)に常にかかりつづけるモデルの髪、表紙を含めれば10葉の写真すべてでモデルの表情に強いアシンメトリーさを与えるこの髪は、じつは(もちろん)かつらであって、川上未映子とはなんの関係もない。もちろん、口紅も、化粧も、衣服も……(たとえそれらが川上未映子の私物だったとしても、川上未映子の選択の産物だったとしても。それらはすべて既製品である)。「早稲田文学1」に、川上未映子の写真は1枚もない。だから、「早稲田文学1」p.8には、こうクレジットされている。「表紙・グラビア写真 篠山紀信」。あるのは彼の写真だけだ。
 ……と、言いたいところだが、もちろん、川上未映子はそこに写っている。ただし、それは岡本三枝子(川上の本名)ではなくて、川上未映子なのだ。なぜか?
 モデルが装飾のない部分をあらわにしている箇所が2つだけある。首と、そして手である。手にはいくつかの目立つリングがしてあるけれども、それは手袋ではなくリングである。そして、指の先端にある爪はモデル本人のものである(付け爪ではない)。グラビア3葉め、階段を登りかけるモデルが振り向いてカメラを見ている写真を見れば、モデルの左手の小指の爪だけが短い(右手の小指と比べても)ことから、これは知れる。
 振り返ってみれば、10葉の写真のいずれもが、色調から考えても、モデルの手か首を強調していた。わかりやすいのはグラビア6葉め、モデルが白い柱の後ろから顔を半分だけ出しているやつで、これはモデルの右半身が隠される代わりに、右手だけは柱に巻きついてカメラに写っている。白い壁、モデルの白いブラウス、白い柱のなかで、モデルの右手だけがやけに目立つ。
 手(と、首も)、これはモデルである川上未映子が、文筆歌手としてあるための道具である。手は書くためのものだ(首は歌うためのものだし、また、川上未映子作品の"音楽性"を指摘する者は、川上の首=声帯を思い浮かべずに読むことはできまい?)。そう、10葉の写真のなかのモデルは、岡本三枝子である部分を周到に隠蔽され、文筆歌手である部分だけを露出させられているのだ。「早稲田文学」の巻頭を飾っているのは、単なる美女のグラビアではない。


 川上未映子の新作「戦争花嫁」は6ページしかない。一度目を通しはしたけれど、最近は、文芸誌を読むのが得意な友人に先に読んでもらうことが多い。あ、今回も、関西弁を用いたリズムある文体は使っていないようだよ。


 おふろで、蓮實重彦「批評の断念/断念としての批評」を読んだ。あ、0号と違って、「早稲田文学1」の表紙はそこまでペラペラじゃないです。きっと写真を表紙に使ったからでしょう。
 三浦俊彦の名前が肯定的に出てきた。暗澹たる気持ち。というのは、蓮實重彦ほどの(三浦が現在は論理学の書物を書いているということもチェックしているほどの!)読み手ですら、日本のフィクション研究を『虚構世界の存在論』ぐらいしか挙げられないのだという、悲惨な現状を思い知らされたから。
 第22回早稲田文学新人賞の選考後インタビュー「誇りを持って引き籠れ!」で、中原昌也が似たような形のことを言っていたけど、私はフィクション研究がやりたいわけではなくて、フィクション研究の成果を使って小説を楽に書きたいだけなので、既存のフィクション研究が使いものになるようであれば、論理的に順序よく考えるなんていう苦手なことはやりたくないのだ。とりあえず"The Philosophy of Literature: Contemporary and Classic Readings - An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies)"をだれか訳してくれ! 若手の美学研究者の皆さんは、どうかフィクション研究に邁進していただきたい。いまならあっというまに権威になれるよ!
 ところで、『「赤」の誘惑―フィクション論序説』は「ある断念とともにフィクションを論じた数少ない書物」(「早稲田文学1」p.360)であるらしいから、蓮實には私の期待を裏切らないでいただきたいものであるぞよ。


 最近いただいた本。

夢幻論―永遠と無常の哲学

夢幻論―永遠と無常の哲学