あなたのkugyoを埋葬する

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信じられないから、奇跡って言うんですよ

 ミクシィを更新したよ……。
 で、そこで載せた奇跡批判の議論を短くまとめて、ついでに答えも載せておこう。


 奇跡の報告の信憑性を考えてみよう。
 信憑性100%の情報というのは恒真式である。また、0%の情報というのは恒偽式である。
 で、この信憑性と、情報の情報量(その情報が真だったときに我々に増える知識、みたいなもん)との関係はどうなってっかというと、恒真式の情報量はゼロであり、恒偽式の情報量は無限大である。
 さて、奇跡の報告は、それが真であれば既存のわれわれの自然法則を用いた理解のすべてに書き直しを命じることになるから、情報量は莫大なものになる。これは奇跡の報告がウソだったという情報の情報量よりも明らかに大きい。ということは、信憑性については、奇跡の報告よりも奇跡の報告ウソだよ情報のほうが、明らかに大きいことになる。
 したがって、奇跡の報告を信ずることは合理的でない。


 以上がミクシィで載せた議論の要約。『偶然の宇宙 (双書現代の哲学)』前半部分のヒュームの議論を下敷きにしている。
 さて、ミクシィでは伏せておいた後半部分も、やはり『偶然の宇宙』のその議論を下敷きにしている。そのまえに、上記の議論が一見して明らかにおかしいことは、奇跡を科学的新発見に置き換えればわかる。もし上記の議論が正しいならば、どんな科学的発見があろうと、既存の自然法則は書き換えられないことになる。
 タネは、奇跡の報告を1回しか起きていないものとこっそり仮定してしまっている点にある。同様の奇跡の報告が複数回あれば、そのつど、その報告の情報量は下がる。新たな報告があったとき、以前の報告に似た事例があったなら、新たな情報が加わったことでわれわれに増える知識は、その当時より減じているはずだからだ。というわけで、奇跡の報告が増えれば増えるほど、情報量は減り、したがって信憑性は高まっていくのである(直観的にも明白だろう)。たくさんの報告がなされれば、奇跡の報告を真だと信ずるべき合理的な理由があることになるわけだ。