必殺仕掛品
必殺仕掛品でググると最近の2ちゃんねるのネタスレが出てくる。なお、これは「ひっさつ しかかりひん」と読むのだ。
昨晩は眉を整えていたらねむくなって22時に寝てしまい『笑う犬2008秋』を見逃したよ。
最近は『線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート』や『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』や『現代アート入門―「今」に出会う歓び』や『現代芸術事典―アール・デコから新表現主義まで』やを読んでいた。
- 『線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート』は久々に人文系の、というか、フランス人の本を読んだ感じがする、全体の議論がまとまって何かを目指すという性質のものではなくて、バンドデシネに現れた顔を次々とさらっていく文章。顔の現れないマンガについて考えてみたが、たとえば微生物を登場人物として据えたマンガの場合、ふつうは顔を描けない(『もやしもん』では顔を据えつけたけれども)。そういえば、たしか訳者解説で、伊藤剛の本が登場していたはず。
- 『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』は勉強会のために買って読んだ、問題を分析するのではなく別のことがらと連結させる(浜崎あゆみやヤンキー雑誌へ)だけなので、肩透かしと言えばそうだが、ジャーナリストの文章というのはそういう役目、何かに役立てるための情報整理の役目を担っているもの。ただ、現代においてそのような役割分担をしている余裕は、もうないかもしれない。
- 『現代アート入門―「今」に出会う歓び』と『現代芸術事典―アール・デコから新表現主義まで』とは図版をよく収録した現代アートの紹介本で、以前「ターナー賞の歩み展」で見た作品についての記述もあったし、勉強になった。