あなたのkugyoを埋葬する

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東北哲学会が私にいじわるするの。

 最近入手した文献のリスト。

  • 清塚邦彦 (1990) “固有名の意味”、文化 54-1/2, pp. 58-77.
  • 清塚邦彦 (1991a) “〈個体述語〉としての存在”、科学哲学 24, pp. 75-88
  • 清塚邦彦 (1991b) “確定記述による直接指示:ドネランの区別について”、科学基礎論研究 77, pp. 27-34
  • 清塚邦彦 (1992a) “指示詞の本性と〈自己関係性〉”、科学哲学 25, pp. 85-98
  • 清塚邦彦 (1992b) “存在文の解釈について”、文化 55-3/4 , pp. 46-64.
  • 清塚邦彦 (1993) “自己意識の概念について:言語論的な観点から”、倫理学年報 42, pp. 223-238
  • 清塚邦彦 (1994a) “言語活動と主体性:E'・バンヴェニストの所論の哲学的意義”、哲学 44, pp. 244-253
  • 清塚邦彦 (1994b) “信念内容と社会慣習:T・バージの思考実験への批判的コメント”、理想 654, pp. 60-69
  • 清塚邦彦 (1996) “生命の質をめぐって:生命倫理学における人格の概念”、モラリア 3, pp. 40-54
  • 清塚邦彦 (1998) “グライスの基本概念への手引き”、ポール・グライス『論理と会話』(1998) , pp. 367-384
  • 清塚邦彦 (1999a) “像と摸像:絵画的描写の概念をめぐって”、東北哲学会年報 15, pp. 28-44
  • 清塚邦彦 (1999b) “ネルソン・グッドマンの記号論:例示の概念を中心に”、山形大学紀要 142 , pp. 37-66
  • 清塚邦彦 (2000) “クワインの経験主義”、山形大学紀要 143 , pp. 17-48
  • 清塚邦彦 (2002a) “近位説と遠位説:クワインの観察文理論に対するデイヴィドソンの批判について”、科学哲学(日本科学哲学会) (2002) 35-2 , pp. 15-28
  • 清塚邦彦 (2002d) “絵画的な描写について:哲学的分析”、山形大学紀要(人文科学) (2002) 15-1 , pp. 41-74
  • 清塚邦彦 (2003) “写真を通して物を見ること:K・L・ウォルトンの透明性テーゼをめぐって”、山形大学紀要(人文科学) (2003) 15-2 , pp. 19-50
  • 清塚邦彦 (2004a) “「観察文」の定義をめぐって:クワインの言語論と認識論”、山形大学紀要(人文科学) (2004) 15-3 , pp. 23-52
  • 清塚邦彦 (2004b) “ネルソン・グッドマンの記号論(2):Pictorial Representationの分析を中心に”、山形大学人文学部研究年報 (2004) 1, pp. 37-64
  • 清塚邦彦 (2004c) “書評:森本浩一『デイヴィドソン:言語なんて存在するのだろうか』(NHK出版)”、科学哲学 (2004) 37-2 , pp. 165-168
  • 清塚邦彦 (2005) “虚構概念の哲学的分析:予備的な考察”、山形大学紀要(人文科学) (2005) 15-4 , pp. 135-166
  • 清塚邦彦 (2006) “現代倫理学事典”、弘文堂 (2006)
  • 清塚邦彦 (2007a) “絵画における感情の表現について”、山形大学人文学部研究年報 (2007) 4, pp. 1-32
  • 清塚邦彦 (2007b) “外部主義と反還元主義:デイヴィドソン解説”、D・デイヴィドソン『主観的、間主観的、客観的』 (2007), pp. 340-369


 同じ人による論文群を通時的に読んでいくと、関心の流れがわかって興味深い。“確定記述による直接指示:ドネランの区別について”(清塚、1991b)を読みこんで、久々に頭を使った感じがした。哲学というのはこういうものでもあるのだよねえ。ああー。


 最近借りた本のリスト。

写真、その語りにくさを超えて (新記号論叢書セミオトポス 5)

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高瀬川

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日蝕

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葬送〈第1部〉

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葬送〈第2部〉

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顔のない裸体たち

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あなたが、いなかった、あなた

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ディアローグ

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モノローグ

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