あなたのkugyoを埋葬する

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書き漏らしたこと

 ある作品について書かれた批評文を読むとき、気を付けなくてはいけないのは、その書き手が自分の気付いていることすべてを書いているかどうかだ。
 主流の教育過程を経て読書感想文を書いたことがある人ならわかると思うけど、ふつう、ある作品について述べられることというのは、それほど多くないから、気付いたことは何でも書かないと、原稿用紙を埋められない。この習慣の延長で批評を書こうとすると、たいがいの場合は過剰になってしまう(過剰にならない場合、それはたぶん不足で、つまりまともに取り合うに値しないってことだ)。
 批評をするということと、批評文を書くこととは、少し違う。それがまともな批評として構成されることを目指すなら、その構成(編集)の過程で、収まりが悪く切り捨てられた思考が必ず出るはずだ(過不足なく思考できる者の可能性を夢見ることもできるが、およそ思考ということの性質を考えると、それは難しいように思われる。書いた部分の思考を少し発展させれば、書かれなかった思考になるはずだから)。
 つまり、ある批評文の書き手の批評家としての力量を見るひとつの方法は、「あなたが書かなかったことはなんですか?」と問うことだ。「すべてを盛り込みました」という返事なら、その相手は少なくとも構成力か、あるいは悪ければ批評的思考の展開力が、未熟であるということになろう。むろん、そうした程度の編集の能力は、訓練を少し重ねれば身につくものではあるけれども。