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様相虚構主義の主張は、必然的か、偶然的か? 〜Hale's Dilemma〜


(訂正しました 2009/1/29)


 可能世界の実在についての虚構主義(様相虚構主義modal fictionalism)の難点を指摘した、Bob Haleの議論(Hale, 1995b)を紹介する。
 様相虚構主義は、可能世界論the story of possible worldsが偽であると主張している。Haleの議論は、可能世界論を必然的に偽であると考えても、偶然的に偽であると考えても、様相虚構主義による文の読み換えは理解できないものになる、ということを述べている。

可能世界論が必然的に偽であるとすると

 可能世界論が必然的に偽であるとしよう。ここで、様相虚構主義者による、

  • (1a) 可能世界論によれば、x

という接頭辞をつけた、文の読み換えを考える。もし、この読み換えを

  • (1b) 可能世界論が真ならば、xは真であろう。

と解釈するなら、(1b)は、xがどのような命題であっても、トリヴィアルに真である。なぜなら、(1b)は可能世界論という、必然的に偽な命題(群)を前件に持つからである。
 ところで、可能世界論が有用であるためには、どんな命題xでも導出できるようであってはならない。ということは(1a)を(1b)のように解釈してはならない、ということになる。
 しかしそうなると、(1a)をどのように理解すればよいのか、理解しがたい。

可能世界論が偶然的に偽であるとすると

 可能世界論が偶然的に偽であるとしよう。ところでこう考えるということは、

  • (2a) 可能世界論は可能的に真である

を認めるということである。様相虚構主義に則って考えると、この様相的主張はこのように理解されるだろう。

  • (2b) 可能世界論が真ならば、可能世界論が真であるような可能世界が存在する。

さてこの条件文の前件は、可能世界論が現実世界で真であるという前件であるから、(2b)は次の(2c)から容易に帰結するものだとわかる:

  • (2c) 可能世界論が現実世界で真ならば、可能世界論は現実世界で真であろう。

 さて(2c)は、以下のような恒真文と同型である:

  • (2d) Aが現実世界で真ならば、Aは現実世界で真であろう。

 (2d)はAが不可能な命題であろうと成り立つ。ということは、可能世界論が不可能であっても、(2c)はやはり真である、ということである。つまり、様相虚構主義による言い換えによっては、(2a)を適切に理解することはできない、ということになる。

Haleへの批判

 上記のHale's Dilemmaは、Gideon Rosenによって応答されており、さらにDaniel Nolan(SEPのModal Fictionalismの項の著者)によって徹底的に批判されている。Nolanの批判は以下で見ることができる。
http://danielnolanphil.googlepages.com/HalesDilemma.pdf
 Nolanによれば、Haleの提示したジレンマは、その両方の角がわら人形straw dummyを相手にしており、わら人形相手としても不足であり、さらに、ジレンマですらない(第3の道がある)、ということになる。


 Nolanの批判は妥当な部分もあるが、しかし、様相虚構主義は必然的に偽であってはならない、というほうの議論については、Haleの議論でいけるのではないだろうか。必然性ヴァージョンへのHaleの批判に対し、Nolanが挙げている応答は4つあって、そのうち2つはRosenによるものだ(Rosen 1995)。

  • (R1) 「可能世界論によれば……」という接頭辞(演算子)は原始的であるから、分析は不要である。
  • (R2) すべての不可能条件文がトリヴィアルに真である、ということはない。

 しかし、(R1)にはまったく納得できないし、(R2)に関しては、仮にそうだとしても、今回もそうであるかどうかにはなお検証が必要だろう。
 残る2つの応答は、(R1)と(R2)に対するHaleの応答(Hale, 1995a)に対する再応答なのだが、ここの検討は今回は見送ります。


 あと、Nolanも(Nolan & O'Leary-Hawthorne, 1996)で、Haleの議論によく似た批判を様相虚構主義にしていると思うのだけど、それはどうなんだろう。Nolanというよりは、Brock-Rosen Objectionか。


 参照(参照してほしい):