あなたのkugyoを埋葬する

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ちょっとくすぐったいぞ

第8回文学フリマ・入手物と感想(9評/55タイトル、追加中) - kugyoを埋葬する


 「lapis vol.1」を読むのに3日もかかってしまったので、ちょっと小休止。ふいー。3日のあいだずっと書見台に入れておいたら閉じなくなってしまったので、「lapis vol.1」の書影は開いたものになってます。裏側のデザインもいいなと思うので、そういうことにしておきましょう。


 それで、ソベルテ・クァイユ「MOJIの群レ」を読んだあと、コワカエ「コワカエ 小説と批評 第一号」を読み始めたら、金城昌宏『揺れ動く茄子』なる批評のできばえに恐れをなしてしまって、筆が鈍ってしまったのよね。鈍るのはいいことですが。
 はてさて、しかし、なんとか書き始められそうです。


 それにつけても、私なんかがこういう企画をやっていていいのかなあ。id:sz9さんに言及していただいて(この企画、じつは第6回の文学フリマのころから、任務失敗しつつも毎回続けているんですよ……)ちょっとどきどきしていますが、私は特に文学が好きなわけでもないし、したがって「この小説を読むとあの作品を思い出すなあ」なんていう関連づけもできないのだし、そのうえたいした手持ちの批評理論もないので(隠し味としていくつか混ぜるくらいはできますが)、テクストに内在する読みに終始せざるをえないわけです。それにしたって、
http://lydwine.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-ca40.html
http://lydwine.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-882a.html
などの素晴らしい読み手さんが世の中にはいらっしゃるわけで、私がこんな、いやがらせのようにかたっぱしから買ったものを読んで・引用していって、いいものだろうか、どうだろうか。
 ところで、いままでの私の批評のしかたを見ていただければわかるかと思うけど、主題のぶれ、文章の稚拙さ、焦点人物の乱れ、生硬すぎる文などといった、ふつうなら欠点とされるようなものを、なるべく逆手にとるように読んでいます。どんな作品でも、私がこれはと思って入手した以上は、あまのじゃくでひねくれた読みであれ、批評によっておもしろくしてやろうじゃないの、と考えているのです。
 その気で読んでいると、はじめはどうしようもない凡作と思えたものでも、細かい部分から読みの手がかりが浮かび上がってくることがあって、小説というものの奥深さを感じます。


 さらには、批評というよりは評論になっている文章の場合なら、よほど私のテリトリーに近いものでなければ*1、ひととおり勉強してからでないとちゃんと読みたくないわけです。読むぶんには非常に勉強になるのでうれしいのですが、レビューするとなると……。


 いや、しかし、ただ読むだけでなくてこういうのやっているのが純粋に楽しいので、55の世界を巡る、その瞳は何を見る? という具合で、続けていきます。

*1:デイヴィドソンが言語なんて存在するのだろうかって言ったとか言わないとかね。