今日は新しい折りたたみ傘を持っておでかけ
自負は冗談の種にしかならない、なぜって、自負による根拠付けは、権威からの論証、それも自分自身を権威付けしたヴァージョンだから。
ただ、権威からの論証のほうをむしろ尊ぶ文脈というのもある。我々は論理的議論以外にも、さまざまな説得の技法を持っていて、誤謬推論と呼ばれるものはたいていその1種なのだ(誤謬推論のいくつかは、論理的議論を装うので、その説得力も疑わしいのだが)。島田紳助とか養老孟司とかを思い出してみればいい。我々はたしかに、彼らに“説得”されることがあるだろう(“動員”といってもいいかもしれない―この用語は軍事用語としての背景を不必要に呼び込むため好きではないが)。
最近借りた本のリスト。
- 作者: リディアデイヴィス,Lydia Davis,岸本佐知子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 40回
- この商品を含むブログ (71件) を見る
- 作者: 鹿島徹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/06/28
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 28回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
- 作者: 野家啓一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/02/16
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 74回
- この商品を含むブログ (65件) を見る
『ほとんど記憶のない女』、われわれの概念をゆさぶる掌編がおもしろい。たとえば「恋」という作品。
ある女が何年も前に死んだ男に恋をした。男のコートにブラシをかけ、男のインク壺を磨き、男の象牙の櫛を指でなぞり、それでも足りずに男の墓の上に家を建て、来る夜も来る夜も湿った地下室で男のそばに寄り添って過ごした。
これでぜんぶだ。140字にも満たないが、死の概念とか恋関係の概念とかについて考えざるをえない。つまり、死がひとPersonの消滅を意味するなら(意味するだろうが)、死んだ男のそばに寄り添うというのはどういうことなのか(死んだ猫のそばに寄り添うというのと同じようなことを言っているのか)。