あなたのkugyoを埋葬する

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介助者はどこまで被介助者に合意を得ればよいか

 「トーキングバリアフリー:あなたのカラダ、借りてもいいですか?」を聴講してきた.
http://bfr.jp/topics/
 いきなり熊谷晋一郎さんの問題提起が哲学的で興奮する.介助者は被介助者のやりたいことを叶え,やりたくないことを叶えずにおくべきだ,つまり「道具的介助者」であるべきだ,というのは理念的にはそのとおりだろうと思われたわけだが,それにはいくつかの問題があるわけだ.

  • 「被介助者のやりたいこと」を詳細に理解することは実践的に不可能

 「カレーを食べます」と言われた際に,カレーに入れるニンジンの煮込みかただの切る大きさだののすべてについて,介助者が被介助者の意向をいちいち確認するのは非現実的.たいていはある段階で打ち切って,介助者が意思決定をすることになるが,それは被介助者の自己決定権を侵害していないか.

  • 「被介助者のやりたいこと」が道徳的に悪かった場合,介助者はどうすべきか.

 介助者の意思決定に従うだけというなら,たとえば迷惑をかけてしまった相手に対し被介助者に代わって勝手に責任をとったらいけないだろう.でも実践的にはそういう場面が多い.


 そもそもなんで「道具的介助者」などという語が生まれたかというと,介助者の都合で被介助者の行動が制限されることに対する反発なんでしたね.で,今回は介助者に対して「道具的であるべきか,どうあるべきか」という問題提起がなされていたのだと思うけど,それはちょっとへんだなと思いました.
 気をつけなくてはいけないのは,上記のような問題は人間どうしでいたるところで発生しているという事実です.例えばカレーをいっしょに作るんで材料の買い出しを任された,という場合,カレールーを買わずに麺とか買って帰ったら困惑されるでしょう.でもふつうはそこまで事前に取り決めるわけじゃないよね.買うものをどうするかはある程度は買い出し者の裁量に任されてる.で,何度も失敗しながら,ひとびとはこういうときの相手の背景信念(ブンミャクとかクウキとかとも言いますね)を推測するようになっていくわけでしょう.だから介助者と被介助者との関係についても,「道具的であるべきかどうか」なんて原則を考えるよりは,相互にやりとりをするなかで相手の背景信念を推測していく,というほうが実践的(という意見が出ていましたね).
 ではなぜ,介助者と被介助者との関係だけがこうも大きく取り上げられたかというと,それはこの関係がなかなかフェアにはならないからでした.介助者は被介助者にはアクセスできないものにアクセスできるわけなので,介助者の都合・思惑に被介助者が服する結果になってしまう,という場合があったわけですね.
 ここで奇妙だと思ったのは,なんで被介助者はそんな介助者に甘んじなきゃいけないの? ってこと.ここで言われてる介助関係って契約関係であって,子が親を介護するみたいな例は扱われてなかったはず.契約関係にある以上,介助者は被介助者のよいようにする義務が(契約の範囲で)あるはずで,フェアじゃない介助者なら捨てちゃえば? と思ったわけです.相互にやりとりして背景信念を正しく推測するのに長けたよい介助者に切り替えれば,フェアな介助関係を得られるはずです.
 こう考えると,このように介助関係にアンフェアなことが起きてしまいつづける理由は,介助者が邪悪だからってわけじゃないと思えます.じゃあ何かっていうと,被介助者に介助者を変えるほどの資源が与えられてないってことこそが問題なんで,つまりこれはこの社会の問題ですよね.


 ところで,背景信念を推測できる賢い(コミュリョクのある)介助者だったらうまくいくかというと,じつはこれだけでは足りない.相手の背景信念を推測するためには時間がかかるので,そのあいだ相手の背景信念がおおむね変わっていないだろう,という一貫性を前提しないといけない.今日の次は明日。今週の次は、来週。今月の次は、来月。今年の次は、来年。でも障害の状況によってはその前提が崩れるんだそうです.身体の状態が一貫していることをあまり信じられないようなそんな身体を持っている場合,介助者に背景信念を推測してもらうことはきわめて難しくなりうる.具体例でいえば,健常者と接する場合はたいてい,1度合意したニンジン切るサイズを明日も採用して問題ない.ただ健常者であっても,体調が変わってニンジンも小さく切ってほしい日もあるかもしれませんよね.こういうのが日常的に起こりまくる場合,やっぱり毎回合意を得なきゃいけないんじゃないか.でもそれはすごく細かいことまで介助者に自己決定を強いることになる.だからこそ,「道具的介助者であるべきかどうか」は問題になりつづけるわけです.
 会場でも少しだけ話題に出ていたように,未来的技術を用いることでこういう問題は解消できる可能性があります.ただそれまでの過渡期において,たとえばニンジンのサイズを確認しないでカレー作って料理をふるまったら飲み込んだやつが死んじゃった! という場合,確認しないでニンジン切った介助者に責任があるのか,その部分を任せた被介助者にも責任があるのか,など,責任の負担先の問題としても,この話題は興味深いです.会場でも,「介助者が被介助者の道具になるなら,介助者の行為の責任は被介助者にかぶさるのか?」というような質問が出ていましたね.