ア14 演劇同人カタリザ,演劇同人カタリザ 第二号(¥300)
第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で11日め.
私が文学フリマで買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(29評/30購入) - kugyoを埋葬する
ア14 演劇同人カタリザ,*演劇同人カタリザ 第二号*(¥300)
演劇同人カタリザ [第十九回文学フリマ・小説|戯曲・シナリオ] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
戯曲・小説・評論,ほかに学生演劇経験者へのインタビューなども入ったおもしろい演劇雑誌.新刊は第三号でしたが,目次をざっと拝見して,5月に出た第二号のほうを分けていただきました.
特に気に入ったのは,兼枡綾,“曲がりきれない”(小説)と,山岸大樹,“あなたと出会うための演劇、そのための試論”(評論)との2つ.
兼枡,“曲がりきれない”は,語り手が学生時代に演劇の世界に連れ込んだ女優「ヤギちゃん」への愛憎をつづった話.ひとへの愛憎を描くなら小説より演劇のほうが向いているとずっと思っていて,それはひとつの所作が愛の表現でも憎しみの表現でもあることをじょうずに表せそうだからなのだけど,この作品では語り手のところに間借りする「ヤギちゃん」の描写のあたりにそのうまさを感じる.
しかし女優との暮らしはたったの半年だった。女優は毎日稽古を終えて、お酒を飲んで、午前一時前に帰ってきた。その時、私はリクルートスーツのストッキングだけぬいで、小さなちゃぶ台の上で履歴書を書いていた。向かいに、赤い顔の女優が、あぐらをかいて座った。私が帰りがけに買って、履歴書が終わったら飲もうと思っていたエビスのロング缶を、手に持っていた。私は何も言わなかった。女優は缶をあけ、長い時間をかけてその一本を飲みきった。(後略)
ここの,なぜ語り手が「何も言わなかった」かが,終盤で明かされる心理トリックになっている.
物語は,就職後の語り手が,小劇場の人気女優を続けている「ヤギちゃん」を車で迎えに行き,その恋人もろとも「ヤギちゃん」を「曲がりきれ」ずにはねてしまえないかという幻想を抱くところがひとつの山場なのだけど,さきの心理トリックの種明かしがされたときには,語り手はずっと「ヤギちゃん」に精神的に間借りされた状態のまま,間借り=切れないで暮らしているのではないか,とも思えてくる.
あと,小劇場の舞台だと車両をなかなか登場させにくくて演出家が悩むという話をきいたことがあるのだけど(デカくて重いし,まじめにやるならちゃんと作らないとちゃちいから),この作品でも,それから作者が個人ページで公開している作品“クッキー頂戴”でも,車両のなかの情景が印象的に使われていて,そこもちょっとおもしろい.*1
山岸,“あなたと出会うための演劇、そのための試論”は,「役」「役割」「身体」といった概念をわりと徒手空拳ぎみに使っているのだけど,話の運びがスムーズで,書き手の迷いとか,素朴な直観と議論の進展した先との食い違いとにちゃんと戸惑うようすとかが,読者にとても親切で心地よく読める.若いひとの評論文は,精緻さの点で危なっかしいようなそんな極論を,さも信じきったような口調でつづるので,ちゃんと読者の批判を想定して書いたのかどうか不安になることが多いのだけど(私のもそうなりがちですが),この評論はさすがに「あなたの出会うため」と題にいうだけある.議論としては,「あなた」(「ありのままのあなた」がありうるかどうか考えるときに前提されている「あなた」)とか「僕」とか「他者」とかいったものが,この「役」「役割」「身体」の枠組みに反してあまりに素朴に前提されているところがちょっと気になる.
前述の兼枡作品もそうなのだが,かなり組版が苦しい(文字組みのアキが広すぎる)のだけど,それを押して読む価値はある.
ほか,以下を収録.
*1:あと,兼枡らが発行している月刊誌(?)*かねますみいこ*の第4号(2014/09)収録の未衣子の文章は,この作品の冒頭イメージに応答しているように見える.