あなたのkugyoを埋葬する

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第20回文学フリマの感想(6/16購入)

私が第20回文学フリマで買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(0評/16購入) - kugyoを埋葬する

A22 京都ジャンクション,*京都ジャンクション 第七作品集 勾配*(¥300)

 第21回文学フリマでのブースはB-02.
 安樹茂里,“その水槽はスカイフィッシュのもの”は,シルバーアロワナの水槽とともに暮らす「私」が,それから「ミコ姉ちゃん」とともに,もはや他人となった父に死期が近づいたときをどう乗り切るか,という話.途中で「未生」の話をはじめた時点で,家を追い出されたクズな父の死期に際して,その逆の「未死」,つまり死んではいないがいなくなった状態(=交通事故でなくなった母の状態)を出してくるんだなっていうのは想像がついたので,展開はすなおなんだけど,丁寧に一歩一歩書き進めてくれてほんとうに粘り腰だなっていうのがわかる.詩とか作曲とかやると身につくのかもしれないけど,提示部,展開部,再現部っていうきっちりした流れをいくつかのサブストーリーにわたってじっくりやってのけるのは,それだけで体力がいる大仕事だと思うのだ.後半,もしかしたらべつの構想があったのでは,という箇所があるので(推敲が足りていなくてもっと書きたかったふしが見受けられる),次の作品もぜひ読みたい.あとタイトルがいいと思う,これは前作(「コンペイトウの降る庭)・前々作(「赤い大陸」)でも思った.
 高瀬遊,“水底の魚”は,ビオトープで厄介もの扱いされるブラックバスたちにちょっとややこしい親近感を抱いている,通信教育部の「ケラさん」と,無神経なふだんの「ケラさん」をけむたがっている従業員の「若林さん」とを描く.語りのつなぎをうまく使って,「ケラさん」に読者を感情移入させたあとでそれを「若林さん」焦点に切り替えることで裏切る,みたいな技が用いられていて,ちょっとケルフィッチュみたいでおもしろい.再び焦点人物が「ケラさん」に戻ったあとで,ブラックバスの卵をつぶしてしまおうとする教育委員会の連中とやりとりさせるところなんかは,やっぱりちゃんと「ケラさん」が無神経というか他人との距離感をうまく計れてないことがわかるように書かれていてうまいなと思った.われわれはふつう無神経な登場人物には感情移入しないものだが,ちょっとした技術でそれをくつがえす奇妙な読書経験をつくることができるのだ.
 智東与志文,“投棄と逃走”が今回はいちばんおもしろかった.職場の駐車場で包丁を拾ってしまい,捨てそびれている銀行員の「ヤマベ」を語り手として,現代日本から“逃げる”とはどういうことか,が描かれる.ボケた老人にハイリスクな金融商品をつかませて逃げた前任者,カタい仕事は未来がないと踏んで事業をたちあげようとした(のに通り魔に殺されてしまった=逃げきれなかった)「カワハシ」,老人相手に商売をする「ヤマベ」と同居しながらも老後のことは考慮していない,写真家の「ヒカリ」.

「老後ってなんなんだろうね?」
「え?」
「わたしはこのまま写真を撮り続けて撮れなくなったらそこで死ぬのかなって思ってるから、老後ってよく分からないな」

 このモラトリアムにありがちなセリフに説得力を持たせるにはそれなりの思索が必要になる.それを「ヤマベ」の内省のなかでちゃんと描き,最後にちょっと唐突にも思える「投棄と逃走」で苦笑いを含んだカタルシスを組んだのはうまいなと思った.
 大鴉こう,“キリンのたまご”は次号につづくのだが,これもつづきが楽しみ.放浪時代に「僕」が訪れた,戦争中に放棄された黒曜石の島「サルミアッキ島」.そこに住むなぞの老人「ワタナベ兵曹」とのツーショット写真を手がかりに,建設会社の「吉田部長」と「安田さん」,そして「僕」の三人組は,ふたたび「サルミアッキ島」を目指す.冒頭の「キリンのたまご」の挿話の位置づけはまだ明かされていないが,「サルミアッキ島」のたどった現実味のある運命や,エキセントリックな「安田さん」のキャラクターでしっかり話がもたせてある.
 第19回文学フリマでの私の感想はこちら.購入全誌感想(6評/30購入) - kugyoを埋葬する

B31 トリアトリエ,*サリチル*(\300)

 第21回文学フリマでのブースはC17.
 溶解性の奇妙な海のそばに立つ家になかば自分から閉じこもり,パートナーの帰りを待ちわびる「リリ」.同じような境遇にある隣家の真っ赤な髪の女は「ピリン」と名乗り,自身のパートナーを射殺して転がりこんでくる.海から来る「鬼」を「戦争」で迎え撃つ準備を進める役割を持つふたりには,しかし大きな違いがあった.
 パートナーが残した,煙草の煙と腐ったコーヒーとが入ったコーヒーのボトル缶,それをだいじそうに少しずつ飲む「リリ」の,幻想的ななかにちょっとイヤな描写を入れるバランスがいいなと思った.「ピリン」はおそらく,タイトルの「サリチル」(アセチルサリチル酸のことだろう)と同様に鎮痛剤(アセチルサリチル酸の商標がアスピリン)を示していて,「戦争」の解決はなにも進んでいないが痛みを忘れて生きる「リリ」の今後を暗示している.

C51 女流文芸サークル【鉄塔】,*深海*(\500)

 第21回文学フリマでのブースはC48.
 水族館にいる生きものからテーマを選んで書かれた4本の短編競作.
 日々谷俊太郎,“ラッコだってぼんじりが食べたい”がおもしろかった.ラッコっていうのは動物のなかでは例外的にものを持ち運ぶ(貝を割る石).つまりものへの執着があるように見える.これが,語り手の持っている弟への未練と対応している.ラストで,弟は食べる機会がなかったはずの焼き鳥を食べることで昇華される.焼き鳥というのも奇妙な食べもので,食べるための道具が刺さっていてはじめて焼き鳥であって,串を抜いて出せばよさそうなものだがそうはならないのだ.
 第19回文学フリマでの私の感想はこちら. C08 女流文芸サークル【鉄塔】,劇場(¥300) - kugyoを埋葬する

エ22 マゾヒスティック・リリィ・ワークス,*ダメ女子的映画のススメ。*(\350)

 第21回文学フリマでのブースはオ08.
 映画評を集めたブックレット.映画評といっても単品だけでなく複数の作品の対立関係みたいなものを公開時期などと絡めて書いてくれている.*エンジェル・ウォーズ*(2011)を評した,赤木杏,“少女たちのハードボイルド”が特によかった.映画コラムなので口絵つきページもけっこうあり,いねいみやこ,“【ダメコレ】ダメ女子的ヒロイン辞典”がおもしろい.
 オススメの1冊.

エ58 喫茶モンスター,*別冊Café Monster vol. 05*(¥500)

 第21回文学フリマでのブースはエ58.
 各地の喫茶店を,注文したもの中心にイラスト化して紹介してくれる楽しい本.気に入って購入してもう何度めかになるのだが,毎回よくお店ごとの特徴をつかんでちがった感じに描けるなあっていうので感動している.だってさ,「スイートポテトシフォンケーキ」と「リッチミルクシフォンケーキ」とを別様に描けますか? 味はもちろんちがうわけだけど,見た目でぱっとわかるかというと,私には自信がない.それをちゃんと絵にして,どこが好きかを伝えてくれるのがすばらしい.
 特集のアンケート企画「ノマドするひと、しないひと。」は,私はノマド肯定派で,家に帰ってる場合じゃないときに喫茶店ノマドワークする.べつに切羽詰まっているわけではなくても,読むものが固まってきたら,家に帰ってよけいなことをするまえに早く取りかかりたいのだ.
 第19回文学フリマでの頒布物の私の感想はこちら. エ52 喫茶モンスター,*別冊Café Monster vol. 04*(¥400) - kugyoを埋葬する

カ05 建築雑誌ねもは,*建築雑誌ねもは 文学フリマ2015年春号 特集 モダニティの地-図*(¥500)

 第21回文学フリマでのブースはカ38.
 あっ横書きになっている! 冒頭の,吉本憲生,“近現代日本の都市空間におけるモダニティと日常の関係について”がいきなりすごい.なんとあの「大正モダン」とハーヴェイの「モダニティ」/「ポストモダニティ」とを,都市になにが起きたかという観点から比較している! 2015年現代と比べると,「モダニティ」を仮託する対象が異なっているわけだが,その異なりかた,つまりどういう対象に仮託するかが忘却されて新しいものに切り替わってしまうサイクルがあり,そのサイクルがどんどん早くなっているにもかかわらず支配的になっている,もっと長期スパンのサイクルも都市生活のなかにはあるのでは,という議論だった.
 ほか,地図・年表・図面といった建築の図式化のためのダイアグラムを,重ねることで立体化し,ひとつのストラクチャ,つまり建築にするというプロジェクトを行っている,鎌田友介へのインタビューがおもしろかった.あと,ソ連建築史を政治状況の観点から調査した,本田晃子,“社会主義都市論争と政治の力学”も興味深い.
 第19回文学フリマでの頒布物の私の感想はこちら. カ47 建築雑誌ねもは,*建築雑誌ねもは 文学フリマ2014年秋号 特集=建築とダイアグラム*(¥500) - kugyoを埋葬する