あなたのkugyoを埋葬する

主に読書内容の整理のためのブログです。Amazon.co.jpアソシエイト。

なあやっぱ足らへんねや愛が


読書の誠実さ - God & Golem, Inc.
id:ggincさんからトラックバックをいただいた。早急にCurrie論文を私訳して応答したいと思う(つまり、議論する必要がある内容を含んでいる文章からトラックバックを受けたと思っている)。ひょっとしたらフィッシュ入りのシーフードカレーになるかもしれないが。



 Urmson訳とかCurrie訳とか言っていてまだ終わっていないのは(おれのやる夫病はいつものことだけど)、帰省していた友人が久しぶりに東京へ来てくれて、ジェンダ研究について突っ込んだ話をしまくっているせい。
 私はフェミニズムよりは、クィアを含んだジェンダ批評(と、ポストコロニアリズム)の思考法そのものに関心があり、第2波フェミニズムのやろうとしているのことにはあまり共感できない場合が多い。あの思考法、あの暴きたてかたは、抑圧された<女性>のためだけでなく、抑圧されたものすべてに対して応用して使いうる、つまり権力構造の移動ではなく骨抜きに使えると思うからだ。私は一時期、虚構キャラクタでさえも抑圧されたものじゃねえかと考えていたし(分析の結果、いまは違う議論にたどりついたが)。
 でもその帰省から東京へ戻ってきた(というのも東京中心主義的だが、その友人に“戻ってきた”と言ってもらえるぐらいには、私はその友人の友人である)友人と議論すると、ジェンダ研究の問題圏ですらも私にとって未知のものが多いことがわかるし、ましてや細かい議論や各論者の戦略やについてはとてもかなわない。それで、例えばちかごろ話題のゼロアカ道場に出るということは、今後5年ぐらい以内には私は日本の批評家として最高になりうるのだ! という自負を宣言することに他ならないけど、野蛮な哲学使い*1と批評家とは違うのだから、思想的問題圏(ジェンダ、経済、国際政治、植民地支配……友人たちには頭が下がる)の多くに無知の状態では、批評家を目指すことなど許されないと思って、第0関門募集や道場破り募集やはすぐに見送ったのだった。まあ、背中を預けられる友人で、かつ背中を預けてくれそうだった友人がいないというのもあるけどね。


 で、このブログのこのカテゴリの性質上、テラフォーミング*2をしてもいいと思うからするよ。あのね、私は、ひとりも分析哲学に興味あるやつがいない空間にはあまり問題を感じないが、抑圧を読み解く思想に興味あるやつがいない空間というのはやべえと思うんだよ、その空間がこの世のどこにあるにせよ。私だってそのどちらかに精通*3しているわけではないけど、その帰省から戻ってきた友人が渡米して日本を離れてしまったら、私は分析哲学をあるていど捨ててでも、思想的に自分を強化するのにまわらなくちゃならないかもしれない、もちろんその余命が私にあと2年あればってことだけどさ。テラフォーミングおわり。


 ただ、そのこともまた、私の最終目標を大きく外れるわけではない。ないが、それは同時に、この時代に小説家というのがどれほど遠い目標であるかを教えてくれる。


 ほんと、ただの野蛮な哲学使いでありつづけたい。自分の言動、一挙手一投足の意味なんか考えずに、楽しく脳に汗して虚構のことだけ考えていたい、というか、それにすらも早く満足して、賃金を得て安寧を得て、ダジャレだけ言って過ごしたい。
 でも世界には撹乱が足りないのだ。愛さえも。


 うーん、香ばしい。おれ超いい臭いビックリ(これが今日の渾身のギャグです)。
 それじゃ、帰省してきた友人と対談しに、横浜へ行ってきます。

*1:私は最近やはり自分は野蛮な哲学使いだと思う、韜晦しているのではなくて、目的が哲学それ自体にはないんだもの。

*2:このブログでテラフォーミングっつったら惑星開発なんだよ!

*3:あ、これ別の場所では、撹乱的であるエクリチュール・フェミニンの拙い実践として使ったのね。