あなたのkugyoを埋葬する

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海沿いへ

 「新潮 2008年 09月号 [雑誌]」を少し読んだ。前田塁平野啓一郎へ)・古谷利裕(岡田利規へ)・福嶋亮大舞城王太郎へ)による批評がどれもおもしろい。頼もしい批評家たちだと思う。
 まあ、可能世界論なんて見ると、ハハア、と思ってしまうのだけど、それは仏教学者が“他力本願”*1なんてワードを見たときにハハアと思うだろうことを考えれば、そういうことを気にしなくてはならないのは、そういうミームが拡散して私の検索のじゃまになったときだろうな、と自制される。それに、たとえ検索のじゃまになったとしても、検索のテクノロジーがもっと強くなるか、あるいはいまだって"possible worlds"と検索しなおせば、それでよいのだろう。
 小泉義之による可能世界(意味)論批判(Critical Life (期限付き))も想起される。


 同じ言葉を使っていても違うことを意味しているかもしれない、という考えかたに触れると、コミュニケーションの可能性そのものが本当にはありえないような気がしてしまうけど、それに対してはデイヴィトソン「概念枠という考えそのものについて」が一定の対応になりうる。


 あ、ミクシィを更新したよ……。

*1:ところで、ロス・ジェネに対し他力本願だと言うことは、たぶん批判したことにならない。彼らはつねに「ではなぜ他力本願状態に追い込まれたのか」と問い返せる。