category theoryというのはちゃんとした用語なのね
Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)
- 作者: Theodore Sider,John Hawthorne,Dean W. Zimmerman
- 出版社/メーカー: Wiley-Blackwell
- 発売日: 2007/11/20
- メディア: ハードカバー
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形而上学ってのはこの世界がどのようであるかを探究するもんなんだけど、この世界はでかいし多様なんであって、りんごとか惑星とか銀河とかエアコンとか芸術作品とか人物とか社会とか、そういうもんを概括して考えるなんて無理っぽく見える。それにりんごについて知りたければ植物学者に聞けばいいし、惑星についてなら天文学者でいいわけだ。じゃあ哲学者にはなにができるってんだろう?
ここでりんごとか火星とかについて考えてみよう。
- The apple is red
- The apple is round
- Mars has iron oxider on its surface
- Mars is 6.4185 x 10^23kg in mass
どれを見ても、ある対象がある特徴を持っている、ってことが言われてるだろ! こういう、特徴を持つような対象のことを、哲学者は個物particularsって呼び、個物が持つ特徴のことは性質propertiesって呼ぶんだ。さあ、すると、この世界には個物と性質と、2種類の実体entitiesが存在するってことになるよね。こういうのが哲学的分析ってわけ。
ところで、哲学にはよくあることだけど、この2種類が存在するってのを認めない立場もある。それが唯名論者Nominalistsだ。彼らは個物は認めるけど、性質は認めないんだよ。もちろん、赤い対象が存在することを認めないってわけじゃなくて、赤さなるものが存在することを認めないんだね。
赤さなるものの存在を認めなくても「The apple is red」という文を有意味に語ることはできる。たとえばわれわれは穴について、"I can't wear that shirt because there is a hole in it."なーんて言うけど、ほんとうは穴なんてものはない、だろう? 実際に存在するのは、穴があいてる、とされている物理的対象、この場合はシャツだけだ。唯名論者は、赤さなんてものも、穴の場合と同じで実際には存在しないだろ、って考えているんだ。
さあ、唯名論者は正しいだろうか? これはまったく難しい問題だ。第1章では、Chris SwoyerとCian Dorrとがそれぞれ、この問題にかんして対立する結論を導きだす。ともあれ、ここまでの話で、形而上学者がなにをやっているのか、ざっとわかってもらえたと思う。多様の現象のパターンを、正確に一般化して記述するわけだ。ほかにも例えば、必然性とか、時間とか、存在論とかね。
で、これの内容は、形而上学における諸問題について対立する見解を紹介する、といったていのもので、そんなに深い議論がされているわけではないような気がする。私が見たのは第3章のMODALITY AND POSSIBLE WORLDS、とくに3.1のPhillip Bricker, "Concrete Possible Worlds"だが、これって可能世界が現実世界と同じ資格で存在するっていう例のD. Lewisの見解を概説してみせただけの論文だと思うのだが。
あと、扱ってるテーマは、抽象的存在者、因果と自然法則、様相と可能世界、人格の同一性、時間、持続persistence、自由意志、メレオロジー、メタ存在論、という内訳なんだけど、自由意志は形而上学を微妙に越える気がする。とりあえず、全文読んでないので、評価は保留します。
こういう書評もある。Contemporary Debates in Metaphysics // Reviews // Notre Dame Philosophical Reviews // University of Notre Dame
この書評を読むかぎりでは、上での私のBricker論文に対する評価はあたっていないようだ。これもまた、そのうち。
Metaphysics: A Contemporary Introduction (Routledge Contemporary Introductions to Philosophy)
- 作者: Michael Loux
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2006/05/10
- メディア: ハードカバー
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そのOverviewに書いてあったことだけど、possible worldの概念が還元主義的唯名論reductive nominalismに資する、というのは同意するなあ。三浦俊彦が『可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える (NHKブックス)』で述べていたことであるけど、そのネタ元がようやくわかりそうだ。あと、Plantingaの現実主義Actualismについても詳しく扱っている。
もし形而上学に興味を持ったら、この本からあたることとしよう。
なお、こういう本(Philosophy - Routledge)もあるみたい。目次はちょっと物足りない。