あなたのkugyoを埋葬する

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完全法則は存在するし,完全法則があれば因果的決定論にはじゅうぶんである

 伊佐敷,時間様相の形而上学(勁草書房, 2010)における,因果的決定論に対する(自然の斉一性を仮定したうえでの)反論がよくわからなかったので,メモします.


以下,引用は前掲書pp.92- より.


 伊佐敷の主張する「因果的決定論の中心的主張」は,
・同じ原因からは常に同じ結果が生じる
というもの.

例えば,「水が熱せられる」というタイプの出来事からは「水から湯への変化」というタイプの出来事が常に生じるということである。

  • 伊佐敷の反論:自然法則には例外がある.

・背景条件(産出条件が現存し、かつ、妨害条件が不在であること)が満たされていない場合
・・妨害条件(e.g. 熱せられる水に氷の塊が流れ込むこと)
・・産出条件(e.g. 通常の大気圧のもとで)
 したがって,

しかし、背景条件をあらかじめ完全に特定することは不可能である。それは、ほとんど無数の膨大なリストになるからであるのみならず、自然法則の内容が、そこから背景条件をすべて演繹できるような内容でないからである。 (中略) 要するに、自然法則はそれだけでは(即ち、背景条件抜きでは)未来に向かって因果の鎖を形成できるほど結果を一通りに決定する力を持たず、また、そのような力を持つことを自然科学において求められてもいない。このように、自然法則の例外許容的性格と決定論の細部決定性の間のギャップは未来に関しては埋めることができず、結局、自然法則から因果的決定論は帰結しない。

    • (すぐさま私に思い浮かぶ反論)→ 「自然法則の内容がそこから背景条件をすべて演繹できるような内容でない」は正しくない.(自然法則を数えることができるとして)ほかの自然法則の内容と,じゅうぶんな数の原因とから,ある自然法則が背景条件を満たすかどうかを,演繹的に決定できるだろう.


 この反論を伊佐敷が明確化するとこうなる:完全法則

 既に生起した過去の出来事に関しては、背景条件はすべて満たされているのだから、(人間がそれらの背景条件をすべて知りえないとしても、)それらの背景条件をすべて内容に含む法則が客観的に成り立っていることはありうる。そのような法則を完全法則(total law)と呼び、それらの背景条件と原因とを合わせて当該出来事の完全原因(total cause)と呼ぼう。すると、完全原因は、完全法則に従った仕方で、結果を決定する。例外事例は定義上一切起こりえない。こうして完全原因と完全法則は(人間がそれらを知ろうが知るまいが)因果の鎖を形成し、未来は過去によって一通りに決定される

  • 伊佐敷の再反論1:既知の自然法則の中に完全法則は一つも含まれていない
    • (私に思い浮かぶ反論)→ 人間が完全法則を知りえないかもしれないことは決定論者も認めている.完全法則がありえそうかどうかについて言えば,(矛盾しない)自然法則が多く見つかるにつれて,完全法則がありそうである度合いは高まってきている.さらに言えば,原子2つしかない可能世界については,ほとんど完全法則が見つかっていると言えるだろう.再反論1は決定論者にとって問題とならないだけでなく,そもそも事実に反している.

 ただし,伊佐敷がここで何を指して「自然法則」と呼んでいるのかは必ずしもはっきりしない.

  • 伊佐敷の再反論2:完全法則は出来事を説明する力を持たない

  完全法則は出来事の原因を特定できず「因果の網」しか提示できない.原因を説明する力を持たないものは「法則」の名に値しない.

    • (私に思い浮かぶ反論)→ じゃ「完全法則」と呼ぶのはやめてもいいが*1,ともかく,これを措定した目的は,出来事の原因を説明することではなく,「同じ原因からは常に同じ結果が生じる」を立証することだったはず.この「同じ原因」が大きくなって「因果の網」になったとしても,「同じ因果の網からは常に同じ結果が生じる」というのは決定論そのもの.再反論2も決定論者にとって問題とならない.

*1:エターナルフォースブリザード」とかに改名してもよい