あなたのkugyoを埋葬する

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11月は何をしていたのか

 このひと月ほど,いろいろなところに行って,魅力的な方々とお会いしたり再会したりしていたので,記録する.12月も同様に鍛錬していきたい.
 振り返ってみるに,私,魅力的なひとにお会いしすぎではないか? これは偶然や実力などではなく,まず地理的に有利な場所で暮らしているということもあるし,それと,魅力的でなかったひとのことはたいてい覚えていられないというのもある.自分の必要に応じてしか覚えないというのは,傲慢な態度だ.
 お会いする方々にお返しができるように,しっかり勉強していかないとな…….

ゆるふわ形而上学の会 10月7日(木)

 James Van Cleve, "The Moon and Sixpence : A Defense of Mereological Universalism"をレジュメ担当.話としてはPersistenceの章でやったようなことが主だったのですらすらと行けた.古典的メレオロジーの重要な原理は2つ:

  • 存在原理:∃x(x∈A) → ∃x(xはAの和)
  • 単一性原理:∃x(x∈A) → ∀y(yがAの和 → x = y)

前者はふつうメレオロジー本質主義が共有するものだが,単一性原理のほうを破った亜種がいろいろ存在する.アリストテレス的徹底主義であれば,質料のみならず形相によっても,できあがる実体が異なると主張する(snowdiscallの例*1などで説明されていた).
 あと,最近調べたのですが,生体を形づくるときだけ構成が起きるというvan Inwagenの立場は,Rosen and Dorr, "Composition as a Fiction"では'organicism'と呼ばれていました.Chisolm(Van Cleveも?)がとる,デカルト的魂を究極単体ととることでニヒリズムを整合的にする立場については,まだ名前が見つかっていません.
 ニヒリズムと消去主義との違いは,単体として例化されているところの形相+単体の質料,という構成を認めうるのが前者,ということです.

思考実験について 10月15日(金), 27日(水)

 思考実験は実験であるかどうかを少し考えました.Timothy Williamson, *The Philosophy of Philosophy*の読書会でも表明しましたように,私の立場は「哲学者のふるまいは,実験データを持ち帰って検討している科学者のふるまいとよく似ている」というものです.フラスコを振ったり装置をいじったり試料を集めたりするだけを実験と考えるのではなく,得られたものの分析まで含めて実験と考えるのであれば,(多角的に繰り返された)思考実験は実験と言えると考えています.

ゆるふわ形而上学の会 10月21日(木)

 ひきつづきVan Cleve(2008)を検討.ふがいなくも1節ぶんしか作ってこられず,鍛錬を誓う.
 ニヒリズムと消去主義との違いは,単体として例化されているところの形相+単体の質料,という構成を認めうるのが前者,ということです.

Bob Hale教授講演会"What is absolute Necessity?" 10月28日(木)

 ◇の中に・が入ったこの記号はなんなのかわからない.

哲学会 10月30日(土)

 倉田剛さんの発表「タイプと音楽作品についての試論」がたいへんおもしろかった!
 トロープ説についてちょっと知りたいのだが,トロープを作ったり壊したりすることはできるのだろうか.ポストを両断したときトロープは増えるのかな?

Tropes (Stanford Encyclopedia of Philosophy)


科学基礎論学会 秋の研究例会 11月7日(日)

 ひどいことに6日(土)に会場に行ってしまってずいぶんな目にあいました.
 研究例会なので学会発表レベルの仕込みを期待してなかったけど,とても面白うございました.「連続性と様相」「意味論再考」のワークショップに参加.Brandomの推論主義だと間違った文を発話できなくなってしまわないか? 発話主義ではなく文主義(文を意味の単位とする)だからそうなってよいのだろうけど.
 レカナティについてはid:optical_frog さんの翻訳記事を参考にしたく思います.
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クィアスタディーズ入門公開講座 11月10日(水)

 クィアスタディーズについては常に関心を持っているものの(というか,全人類が当然関心を持つべきものだと思っているものの),どういう論争があるのかを調べていなかったので,お邪魔しました.
 講師のかたがまだ慣れていなかったようで,手早く切り上げるべきところと慎重に進めるべきところとが分けられてなかったきらいはありますが,これはどんどんよくなっていくでしょう…….
 個人的には,フェティシズム(フェチズムはシュミレーションと同じだよ! 気をつけて!)が性的なことの内包をあいまいにしてしまうことに気づいたのと,性自認の問題を考えるうえでやはり精神分析は必要であることに気づいたのとが,よかったです.

ゆるふわ形而上学の会 11月11日(木)

 多くの会員が会議主義と対決しなくてはならず,特に後半,先生がたと私とからなる3ツ組での開催.申しませんでしたが緊張しました…….たいへん勉強になりました.ひきつづきVan Cleve(2008)を検討,それと哲学会・科学基礎論学会の話題を.

Eva F.Kittay教授 講演会「ケアの倫理からグローバルな正義論へ」 11月13日(土)

 JusticeとCareとが対立しているけど何とかすべきという話.independenceがnot dependentを意味するかっつったらそんなことはなくて,artificial constructedなdependencyとinevitableなdependencyとを区別できるから,ここでケアの倫理が効いてきそう,ということだった.
 近視眼的なケアの倫理に従って失敗するよりは盲目的な正義の倫理に従ったほうがマシじゃね? という,ありがちな質問を長い英文で提出してみると,読み上げられた.Kittay教授答えていわく,ケアの倫理は私たちに2つのことを教えてくれる:

  • 事実として,ケアには偏りが生じている.
  • この現状は,ケアの倫理の求めるところと相容れない.

したがって,ケアの倫理は私たちの関心をケア共同体の外部に向けてくれることにもなるはずだ,ということだった.

クィア学会 11月20日 - 21日

 初日は鶴田幸恵先生の「関東の精神科医の診断をめぐる方法論 ―性同一性障害の当事者と制度の間に立つ人びとの考え方」を聴講して,魅力的なかたなのでぼーとなってしまった.2つのことに気づく:

  • 精神科医がときとして被治療者に厳しいことを言い,苦痛を伴う診断を下すのは,医療の名を借りたハラスメントではないか? : そんなことはない.(必要な)開腹手術を医療の名を借りた暴行と言うひとはいないだろう.
  • 被治療者に一定の能力(周囲が男らしくあること・女らしくあることについてどう理解しているかを理解する能力)がなければ治療を認めないというのは不公平ではないか? : そんなことはない.体力のあるひとにだけ施せる手術があるとして,体力のないひとに無責任にそれを施すことはされないだろう.

 2日めは寝坊してパネルを少し聞き逃す.宮澤由歌「L. ベルサーニにおける家族概念の推移」,佐倉智美「身体改造で何が変わり何が変わらないのか」,井芹真紀子「<女性性>の遂行と差異/距離の問題について」,川坂和義「生権力の中の<クィア>」,などを聴講.
 「<女性性>の遂行と差異/距離の問題について」では澤田知子の作品を扱って,有徴(marked) - 無徴(unmarked)の力関係を考えていたようだったが,あとで議論するうちよくわからなくなってきた.

 女性が女性性の遂行をすることについて,ButlerなりProsserなりMartinなりWalkerなりの議論がある.フェムレズビアンの立場からの批判としては,外見上はヘテロ女性と区別できない(無徴である)フェムレズビアンが不可視なものとされてしまう,というものがある.ただしここでは同時に,イメージ=<わたし>という固定観念への撹乱性もある.
 イメージ=<わたし>という固定観念に対抗しては,ドラァグクィーンが挙げられることがある.しかし,ドラァグの衣装の過剰性はリアル・ガールとの違いを強調してしまい,けっきょくリアル・ガールとの差異を作って,欠如としての女性性との非同一化を果たしてしまう.
 澤田知子の作品もさまざまなひとを演じてイメージ=<わたし>という固定観念に対抗しているようだが,そのようにさまざまに演じることで,それらに共通して変わらない<わたし>が逆説的に確信されてしまうのではないか.この不可視の内面は無徴であり,有徴な他者を犠牲にしてファルスを獲得してしまっているのではないか.
 ところが最新作Mirrors(2010)では,単に他者のイメージを演じるだけでなく,2つの似たようなイメージを同時に演じている.

 結論をよく覚えてないのだけど,不可視の内面が無徴というのはよくわからない.外見に表れてこない内面,ということを言いたいのなら,ドラァグの場合同様に,<わたし>の有徴さこそが表れてきているはずではないだろうか.
 似たテーマの本人論文があるので読んでいる:
http://subsite.icu.ac.jp/cgs/pdf/jnl05iseri.pdf
Mirrosは12月11日までNADiff A/P/A/R/Tで.http://www.tokyoartbeat.com/event/2010/AD96

ゆるふわ形而上学の会 勤労感謝の特別編 11月23日(火)

 矢田部俊介先生が東京にいらっしゃるというのでキューキョ企画しました.Sondra Bacharach and Deborah Tollefsen, "We Did It:From Mere Contributors to Coauthors"(The Journal of Aesthetics and Art Criticism, Vol. 68, No. 1, 2010)を紹介.
 単に複数の作者を持つ作品と,共作者を持つ作品とを分けたいという動機は理解できるが,全体的に量産型論文ではないかとの感触をぬぐえない.先行研究とその問題点を確認するまではいいのだが,最後にMargaret Gilbertのplural subject説を紹介して,これを単純に適用するだけで話が終わってしまっている.そりゃ,社会的グループを説明する理論なんだから,アーティスト・グループのことだって説明できるでしょうよ…….著者らも注で指摘しているように,翻訳や翻案などの問題が残るはずではあるのだけど.
 なお,Googleで探すと,こうやって共同行為をネタにした論文がけっこう見つかる.量産型(卒論型)論文の温床になっている可能性が高いな.
 検討中に,作者であることを帰属させるべきものはどこにいるのかを探している議論なのか,それとも実際に作者であるものはどこにいるのかを探している議論なのか,分かりづらい箇所が多いことがわかってきた(たぶん前者.というか後者は何を探していることになるのか分からない).
 T. Nagel の性的倒錯についての議論も少し検討.輪をかけて動機がわからない.

クィアスタディーズ入門公開講座 11月24日(水)

 ひょんなことで筒井晴香さんと顔見知りになることに成功.教育学とか科学コミュニケーションとかは昨今の経済情勢においてにわかに重要になってきた分野だと思う.
 意思の弱さのため飲み会にまで参加.
 こういう場では自分の拭いがたい固定観念に気づかされることが多い.すんでのところで思いとどまったはずだが,外見が男性的であるひとを代弁する際に,何の気なしに男性的一人称を用いてしまいそうだった.これは本当に反省しなくてはいけない.しばらく落ち込んでいた.
 ところで,「これがお前だよ」はラカンさんのほとんどタームと化した文句だと思っていたんだけど,正しくは「それがお前だよ」のようだ.後者なら,肯定の身ぶり(まなざし)だけでそれと示すことができる.

小倉涌 「マッカーサーの子供たち」 11月27日(土)

 お客様が多くいらしたのでこっそり行ってこっそり帰りました.
 まず注目したいのは,千羽鶴 - 戦艦の上のおおぜいのひと(の肖像画) - 鳩の群れ,という無数のものの連なり.千羽鶴で平和を祈るってのはほんと信じがたいことだと思うのだけど(一億火の玉と何が違うんだ),それに気づきました.
 絵のタイトルをメモしてくるのを忘れたのですが,松川事件を模した脱線の絵がよかった.見てすぐ何か落ち着かない感じがしていたのですが,脱線車両が水に落ちていながら水面に波紋がまったくない点に気づいて,この絵における時間の流れかたに混乱しました.事故後の静まった光景を描いているのが右のキャンバスだとすれば,左側で飛びまわっている鳩の群れは何に驚いて飛んでいるのか.つまり,ここでは違う時間が同一平面に(というか並んだ2つのキャンバスに)描かれているわけです.ものを絵に描くということは,写真とも違って時間の切り取りかたがカギになってくることだと思うのですけど,それを有効に使った作品だと感じました.
 個展告知:タイトルは『マッカーサーの子供たち』その内容について。-東京で来週22日から27日まで開催 - 蠅の女王

渡辺公暁「嘘トのベルは止められない!」 12月5日の第11回文学フリマ

 「コワカエ」5号に寄稿するためのものをずっと考えていましたが,クィア学会へ向かう新幹線のなかで脱稿.スマートなガラパゴス携帯から送信しました.ひー疲れた.
 やはり,凡百の批評文のひとつの到達点として精神分析斉藤環があるように思われます.今回も批評文を書くうえでだいぶ参考にしました.批評家としてやっていくためにはああいうのを乗り越えなくてはならないと思いますので,皆様がんばってください……以前からの主張ですが,私は批評文を共同で作っていくことにもっぱらの関心があります.

*1:discall, discall, one snow discall...