あなたのkugyoを埋葬する

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R. M. Sainsbury, *Fiction and Fictionalism*(2010)の紹介

 R. M. Sainsbury, *Fiction and Fictionalism*(2010)は,巻頭に各節の要約がついています.これは学術出版業界すべてに共有されるべき有用な特徴だと思います.索引の次は各節要約がトレンド!
 以下,pp. vi-xviを訳出.何か誤解などありましたらご指導願えれば幸いです.(誤訳やtypoのご指摘は,はてなスターの引用スター付与でいただけると,カジュアルでよいかと思います.もちろん他の形でも大歓迎です.なお当ブログではハーフはてなスターをご利用いただけます.)

1. What is fiction?
1.1 Fictive intentions

フィクションの生産者〔producers〕は,とある意図群を持っている.それは,聴衆をして,作ったものでごっこ遊びする〔make-belive what they write〕ように仕向けることである.Currieとほぼ同様に,私Sainsburyもこれをフィクションの重要な特徴と見なす.

1.2 Pretending to assert

多くの論者が提案するところでは,フィクションの著者〔authors〕の特徴とは,主張するふりをしている,ということである.しかしこれはフィクション作品の生産にとって,必要でも十分でもない.

1.3 Pretending, imagining, and making believe

ふりをすること,想像すること,ごっこ遊びすること,これらの態度どうしはどういう関係にあるのだろうか? これらはつながってはいるが,別々の態度である.ごっこ遊びすることは想像することを含み,またふりをすることを含むこともあるが,それらに還元できるわけではない.

1.4 Make-believe and emotional response

われわれは,恐怖したり悲しんだり満足したりと,フィクションに感情面で反応しているように思える.どうしてこんなことが可能になっているのだろうか? Waltonによれば,われわれの反応は,われわれがふりをすることを用いて,想像力によってフィクションを拡張し,われわれ自身やわれわれの反応を含むようにしている,ということに基づく.このWaltonの見解を,我々の反応は大まかに言って非自発的である,ということに基づいて退ける.われわれはわれわれがしたいようにふりを行えるのだ.かわりに,事態〔states of affair〕の生き生きとした提示こそが,感情面での反応を自然と引き起こすのだと提案する.

1.5 Varieties of fiction

小説や戯曲や絵画が,どれもフィクションという種類に入っているとして,それらが備えている共通の特徴はあるだろうか? 創作的意図〔fictive intentions〕は,小説を書くことのほか,芸術的活動によっても表されうる.しかしながら,それも神話のような例においては当てはまらない.神話にもフィクションであると言える余地を残すため,選言的な条件を提案する.すなわち,フィクションは創作的意図の産物であるか,もしくは,はじめは真面目な語りとして誕生したけれども,のちに,信じるのではなくごっこ遊びすることのほうが適切な反応となるような作品である,と扱われるようになったものである.

2. Realism about fictional objects
2.1 Where do we start?

虚構的対象についての実在主義とは,シャーロック・ホームズやトラルファマドール星のようなものは,われわれの実在に属するものだ,という立場だ.この立場について,この章と続く4つの章で論じ,明確化する.この問題についてどんなものを考えるべきかを決める際には,常識的な見解を説明でき,文学批評家の見解も説明できるようでなくてはならない.

2.2 Literalism: fidelity and truth

文字どおり主義とは,「ホームズはベイカー街に住んでいる」のような文は文字通りに真であるという立場のことだ.いくつかの理論によれば,これは正しいばかりか,常識的に受け入れられているともされている.文字どおり主義は虚構的対象についての実在主義を含意する.なぜなら,「ホームズは探偵である」が文字どおりに真であるのは,そういう対象がホームズとして存在するときに限るからだ.私Sainsburyは,文字どおり主義は間違っているし,常識的に信じられているわけでもないと考えている.これに対するさらなる反論に対しても,前提に基づく真理を絶対的真理と誤解してしまう,ということによって説明しかえせる.文字どおり主義者は,問題の真理は物語の中で言われていることによって真となっていると考えるわけだから,その文が実際に真だと思っているはずがないことは明らかである.いずれにせよ,文字どおり主義は次のような矛盾に追い込まれる.すなわち,虚構的真理は明らかに,真理の一種ではない.

2.3 "Of course there are fictional characters"

虚構的人物がいることは明らかであるように思われる.しかし実在主義は,虚構的人物をフィクションの世界に属するだけでなく,われわれの現実に属するものとするよう要求している.フィクションのなかに人物がいるというのは,実際異論の余地のないところだ.しかし,シャーロック・ホームズなどといったひとが現実にいるというのは,異論の余地ありだ.後者の見解を,以下のように表現することにしよう.すなわち,しっかりした〔robust〕虚構的人物がいる.

2.4 A theoretical reason for realism: the semantics of names

名前の担い手がいないのに名前が意味を持つ,ということはありうるだろうか? もしありえないなら,しっかりした虚構的人物の存在を擁護する単純な議論が作れる.しかし私Sainsburyはありえると考える.これを完全に正当化するには紙面が足りないが,動機は単純だ.すなわち,一見したところでは,「シャーロック・ホームズ」のような虚構的名前は,意味を持つが担い手を持たないように思える.

Appendix: reference without referents

この付録では,担い手がないが有意味な名前がある,という主張を正当化する枠組み(RWRと呼ぶ)を素描する.RWRは虚構的名前についての実在主義をとる動機を減らす.中心的着想となるのは,名前は指示をするために使われるが,それに成功するとは限らない,というものだ.もしそれに成功していない場合は,名前を含んだ単純な文は偽になる.この枠組みでも実在主義を擁護する余地はいろいろ残るが,それは実在主義者が探しているのが,虚構的名前を含む真なる文だからである.

2.5 Evidence for realism

この節では,「アンナ・カレーニナはエマ・ボヴァリーより知的だ」のような,明らかに真なる文だが,しっかりした虚構的人物を必要とするように思える文の系列を挙げる.これらが実在主義を擁護する根拠を構成している.

3. Fictional objects are nonexistents

この章を含む3つの章で,虚構的対象についての実在主義(しっかりした虚構的人物がいる,という立場)の特定のヴァージョンについてそれぞれ論じる.3つというのは,虚構的対象は実在するが非存在であるという立場(この章),実在するが現実のものではないという立場(4章),実在するが具体的ではないという立場(5章)である.

3.1 Formulating Meinongianism

非存在対象があるという立場は,Alexius Meinongに帰されることが多いので,釈義学をやりたいというのではないが,ここではこの立場をマイノング主義と呼ぶ.この節でこの見解をより精確化し,虚構的実体に適用する.

3.2 Motivating Meinongianism

マイノング主義をとる動機を4つ提案する.(1)虚構的対象についての実在主義のうちある形態では,マイノング主義をとると,フィクションに関連した文のような問題含みの文が真になりうることを理解できるようになる.(2)これを常識的な立場だと考える者もいる.竜や魔女のような,存在しないものがあるということは当たり前だ,というわけだ.(3)マイノング主義は「存在のパズル」を解決してくれる.これは,ドラゴンや惑星ヴァルカンのような,存在しないものについて正しく言えるのはどういうわけか,というものだ.(4)マイノング主義は,ものについて考えるということ(志向性)を説明するのに最良である.つまり,われわれが存在しないものについて考えることができるように思えるのだから,われわれが考えているようなそんな非存在のものがある,というわけだ.私Sainsburyは,これらの動機のどれもが強制力があるというほどではないと論じ,1番めのものを係争中として残しておく.

3.3 Contradictions within Meinongianism?

もしマイノング主義が丸い四角形の存在とか,フィクションの中の不可能な対象とかに肩入れするのであれば,それは矛盾に肩入れしているということにならないだろうか? そうであるなら,この立場をすぐ退けられるのでは? ここでは,マイノング主義がこの批判に反論する方法をいくつか示す.マイノング主義は,核性質と核外性質とを区別するかもしれない.あるいは,非実在主義的マイノング主義なら,非存在対象が備える性質は,表象的〔representational〕性質だけであって,それ自体は完全に無矛盾なものが,矛盾したものを表象してもよい,と言うかもしれない.

3.4 Creativity and nonexistent objects

マイノング主義においては,虚構的人物は存在しないのだから,虚構的人物を制作することを,それを存在させるようにすると見なすことはできない.このことは,私Sainsburyが選択問題と呼ぶ問題を引き起こす.すなわち,作者はいかにして,大量の非存在者のなかから,制作したいと思っている虚構的人物になるものを選び出すのだろうか? これは非実在主義にとっては問題にならない.非実在主義にっては,人物を作るというのは単に物語を作ることであるに過ぎない.

3.5 Other problems for nonexistents

非実在対象についてのさまざまな問題を2つ調査する.マイノング主義はハムレットのような虚構的人物と,ゴンザーゴ〔*ハムレット*に登場する芝居の登場人物〕のような虚構内での虚構的人物とを,形而上学的地位において区別できない,という問題が1つ.これらは,どちらも単に非存在者となるが,直観的には重要な違いがあるように思われる.もう1つの問題は,作者が数人のきょうだいがいると述べたが,ただしそれ以上は特定しなかったという場合に,マイノング主義では非存在の数人のきょうだい〔several nonexistent sisters〕を認めるが,非存在のきょうだいについては1人も認められない,というものだ.これは理解しがたい.

3.6 Retrospect on Meinongian views

マイノング主義を一挙に退けるわけにはいかない.しかし,マイノング主義をうまいこと作っても,形而上学的難関をいくつもくぐるハメになる.

4. Worlds and truth: fictional worlds, possible worlds, impossible worlds

この章の狙いは,虚構的人物は現実でない世界の現実でない住人だ,という着想をまじめにとるべきかどうか検討することだ.この立場を虚構的人物についての非現実主義と呼ぶ.

4.1 Possible worlds in modal logic

この節では,可能世界を論理学者がどう用いているかについて簡単に説明する.以前これをやったことがあるひとは飛ばしてよい.

4.2 Realism about possible worlds(and their occupants)

Lewisの様相実在主義(可能世界についての実在主義)は,私Sainsburyが論じるところでは,虚構的人物が実在するが非現実的対象だという立場に必要なものだ.表面的な反論を退ける.

4.3 Fiction operators as quantifiers over worlds

有名な"Truth in Fiction, 1978で,David Lewisは「これこれこういうフィクションによると……」のような演算子を,可能世界にかける演算子として理解できると論じた.これは虚構的人物が非現実的対象であるという立場にとって不可欠なものではないが,その立場を帰結するように思える.ともかく,私Sainsburyはここで,(いくつかの理由から)Lewisの説明はうまくいかないと論じる.

4.4 Which possible object is Sherlock Holmes?

非現実主義の描像の問題点は,たった1人のホームズに対し,複数の異なる候補があり,したがってそのうちのだれ1人としてホームズではなくなってしまうというものだ(この批判はクリプキに由来する).この反論を詳細化し,もし適切な超付値的意味論が「ホームズはたった1人いる」に真理値を割り当てるのだとしても,関連する形而上学的描像は,その割り当てと一致しないものだと示す.

4.5 Strange worlds and objects: incomplete and impossible

非実在主義に,古典論理が許さないだろうような,不完全世界とか不可能世界とかを加えたら,助けになるだろうか? そうはいかないと論じる.虚構的人物の不完全性は,もしそいつがうまい具合に完全に無矛盾な物語の住人だったとしても,虚構的人物を不可能世界の住人としてしまう.

5 Fictional entities are abstract artifacts

虚構的実体についていまいちばん信奉者が多いのは,虚構的実体は抽象的なものだという立場だ.そのうちの1つは(あまり人気がないが)虚構的実体は抽象的人工物である,つまり人間が行為することで生産された抽象的なものである,という立場で,私Sainsburyはこれがもっとも見込みがあると考えている.

5.1 Abstract artifact theory

抽象的人工物とは,婚姻とか契約とかのようなものだ.すなわち,ひとが作ったもので(だから人工物),しかし空間的延長を欠いている(だから抽象的,もしくは非具体的と言うほうがよいだろう).虚構的対象についての抽象的人工物説は,Thomassonの立場に従えば,虚構的対象を,このひとが作ったが非具体的というカテゴリーに割り当てる.この説はまた,性質を例化することと性質を符号化すること〔encoding〕との区別をすることにもなる.もしシャーロック・ホームズが非空間的であれば,パイプを吹かすことはない.抽象的人工物説(この説で詳細化するヴァージョン)では,ホームズはこのパイプを吹かすという性質を符号化しているだけで例化はしていないとする.

5.2 Applying abstract artifact theory

抽象的人工物説は作家の創造というのとうまくやれるように思えるかもしれないが,抽象的人工物説のいくつかのヴァージョンでは,創造の結果起きることが非常に受け入れがたいものになってしまう.もっと受け入れやすいヴァージョンもある.

5.3 Motivating abstract artifact theory

抽象的人工物説をやる主要な動機は,明らかに実在主義的解釈を必要とするような文を正当化することから来ている.Peter van Inwagenがこの動機について詳細に研究したので,この節ではvan Inwagenの立場を詳細に検討する.

5.4 Problems for abstract artifact theory

1つ難しいのは,存在文の正当化である.もしホームズが存在する抽象的人工物なのであれば,「ホームズは存在する」は真でなくてはならない.〔が,これは偽である.〕これを修正するいくつかの方法を論じる.より一般的な問題も特定する.符号化とは実のところ表象のことである.表象ということがあるのはだれでも認める.しかし虚構的人物は何らかの点で表象以上のものとされている.

6. Irrealism: fiction and intentionality
6.1 Options for irrealists

この章はいちばん難しい章だ.RWRの大きな問題を修正することに注意を払う.虚構的対象についての非実在主義は,しっかりした虚構的対象など存在しないとする.〔しかし,〕非実在主義が志向性についても説明できるのでなければ,虚構についての非実在主義を一貫させようと努力してもあまりいいことはないだろう.非実在主義は,存在しないものについて心が考えるなどということが,そういうものは存在しないのにどうやって可能になっているのか説明しなくてはならない.この節では,いろいろな戦略を説明するが,多くはパラフレーズとか,それに関連した観念を用いるものである.

6.2 A first irrealist look at a problematic case

実在主義を基礎づける際に,よくフィクション間の比較(例:「アンナ・カレーニナはエマ・ボヴァリーより知的だ」)が使われる.この節では,おなじみの非実在主義的対応を,つまり,そういう文が真なのであれば,それはフィクション演算子のもとにある,という対応を適用できることを示す.しかしながら,私Sainsburyは別の筋のほうが望ましいと言いたい.それは,そういう文は絶対的に真なのではなく,何らかの前提のもとでだけ真,例えばアンナやエマといったひとが実際にいるという前提のもとでだけ真なのだ,というものだ.

6.3 Marks of intensionality

この探究は,一般的に拡張して内包性を検討するようにしなくてはならない.この節のねらいは,内包性という現象を特定することだ.このより一般的なプロジェクトに,実在主義はほとんど貢献できないと論じる.

6.4 Operator and predicate intesionality: reduction

演算子の内包性は,文演算子(文にかけて文を作れる表現〔expressions〕)によって導入される.たとえば,「pとジョンは信じる」とか「このフィクションによれば,p」とかだ.述語の内包性は,内包的動詞,たとえば「を求める〔seeks〕」によって導入される.すなち,「ポンス・デ・レオンは若返りの泉を求める」などだ.この節では,後者の内包性を前者に還元する試みを検討する.この文脈でいう還元の要点は,演算子の内包性はRWRと相性がいいし,RWRによって説明できる,というものだ.一般的な還元は望めないと論じる一方,2つの重要な事例における還元に

6.5 Operator and predicate intesionality: entailment

前節で見たような還元がなくても,以下のような帰結関係は受け入れられる.すなわち,内包的述語のもとにある文はすべて,内包性を欠いた文か,内包性演算子のもとにある文から帰結する.これが正しければ,内包性述語のもとにある文の存在論は,内包性演算子のもとにある文の存在論をはみ出ることはなくなる.RWRにより,非実在主義的存在論演算子のもとにある文をうまく説明できることがわかっている.したがって非実在主義は全体的にうまくいく.この節は決定的な節だ.

6.6 Presupposition and relative truth

残された仕事は,実在主義を動機づけているところの,いくつかの文の直観的評価を説明することだ.多くの事例で,ある文を真だと扱うということは,実のところ何かの前提のもとで真だと扱うということなのだと論じる.ひとがついつい前提を外してしまうこと,そして外した前提をついつい埋め込んだり反復したりしてしまうことは興味深い.フィクション自体からの例をここでいくつか示す.

6.7 A final review

この節では,実在主義に有利ないろいろな例について,非実在主義がしなくてはならない対応を列挙する.

7. Some fictionalists

この章では,いろいろな論者から虚構主義と呼ばれてきた立場を紹介する.この章の狙いは,ほかの形而上学的立場と虚構主義とを区別することである.

7.1 Early History

私Sainsburyが見たなかでもっとも初期の明らかな虚構主義者は,16世紀の傑物Osianderであるが,こいつは自分の発言をコペルニクス由来のものとして子表現した.他の候補(バークリ,ヒューム,ベンサムラッセル)についても詳しく調べるが,こいつらは適任でない.

7.2 Van Fraasen's constructive empiricism

近代的な虚構主義が始まるのは1980年である.これはBas van Fraassenが*The Scientific Image*を出版し,Hartly Fieldが*Science without Numbers*を出版した年である.どちらも金字塔的論考であり,明らかに虚構主義だ.この節はvan Fraassenの立場の要約と,この立場が焦点を当てたいくつかの問題の要約とに当てられる.

7.3 Field's mathematical fictionalism

Fieldの立場の要約と,いくつかの難点の指摘.

7.4 Some features of fictionalism

この章のここまででやってきた話は,この節のためにある.虚構主義は還元とも消去主義とも異なる.錯誤のせいにすることとの関係も明らかにし,よくある動機もいくつか述べる.

8. Fictionalism about possible worlds

前章は虚構主義的アプローチの本質的特徴を記述するのが目標だったが,この章と次の章とでは,いろいろな虚構主義を詳しく見ていく.

8.1 A partial taxonomy of fictionalisms

虚構主義の主要な着想は,特定の領域においては,よい思想とは真なる思想でなくてもかまわない,というものだ.するとここでいくつかの選択肢がある,つまり,そういう思想を持つふつうの思考者が,その思想についての事実を理解しているとするかどうか,それとも,そういう思想は修正が必要とされるとするかどうか.「でなくてもかまわない」というのはいったいどういう基準に訴えることになるのだろうか? 真でなくてもかまわないなら,狙いや目的は何になるのだろう?

8.2 Fictionalist values

「よいためには真でなくてもかまわない」というときの「よい」とは何と等しいのか? これは場合によって変わるだろうが,1つの重要な答えは,虚構主義的文は推論の橋渡しとして働くというものだ.これがどういうことか,ミッキーマウスの例を出す.

8.3 Fictionalism about possible worlds

虚構主義によれば,われわれの世界のほかに世界はないのだから,可能世界についての語りはまじめに取るべきではない,という.虚構主義では,ほかの世界についての語りは役に立つフィクションとしてとっておこうとする.特に,Lewisの可能世界についての説は,PWと略すが,基準形の「フィクション」とされる.

8.4 Comparisons with other forms of irrealism

対照的に,消去主義は非現実世界についての語りは一切ゴミであると言うだろうし,還元主義なら世界を存在論的にちゃんとしたものに,例えば無矛盾な文の極大集合などに還元すべきだと言うだろう.

8.5 Problems for fictionalism about possible worlds

可能世界についての虚構主義には,いくつかの反論がある.しかしながら,ここでよくわかるように,この反論は,Lewisの可能世界の語りの詳細に注意を払っていないために失敗している.しかし役に立つ教訓もある.すなわち,様相的語彙をPWに翻訳するときには,非常に細かいところまで翻訳しなくてはいけない.

8.6 Motivations for fictionalism about possible worlds

世界などというものはないと考えているやつが,可能世界についての語りを保持できると何がうれしいのかは,明らかではない.PWは,なぜそれを真だと思わないといけないのか,という様相論理の痛いところについて,非常にはっきりした意見を持つことになる.

8.7 Whence modal knowledge?

これは可能世界についての虚構主義に,もっと一般的な問題も引き起こす.PWのほかにも,代替するさまざまな「フィクション」がある.虚構主義はどれか1つを選ぶことができるのだろうか? もしそれが,様相演算子によってのみ表現される,様相的事実についての先駆的確信によってのみ選ばれるのだとしたら,PWの役割はよくわからなくなる.しかしPWに決定的な点があるとも思えない(Lewisはそう考えたが).けっきょく,PWは本来ただの語りなのだ.

9. Moral fictionalism

道徳についての虚構主義は,道徳的性質は自然のなかに居場所はない,という立場からも動機づけられうる.しかしここではそのヴァージョンについてはあまり論じない.かわりに,Mark Kalderonの非常に込み入った議論に目を向ける.この議論は,非常に特徴的な見地から,道徳を扱ううえで虚構主義だけが維持可能な立場だ,というのを擁護する.

9.1 Noncognitivism

Kaideronの議論の第1段階は,非認知主義を擁護するものだ.これは,道徳的肩入れを,信念とか,真理値付置可能な命題への態度とかとして説明するのは,最良の説明ではない,という立場だ.Kalederonは,道徳は非認知主義的だという帰結を出すのに,道徳的対立においてわれわれは適切に「譲歩しない」ことができる,という立場に基づいた独自の議論をしている.すなわち,不一致があったとして,われわれは再考するゆるい義務すら持たない,というわけだ.私Sainsburyは,Kalderonは誤っていると論じる.すなわち,道徳的対立だろうと非道徳的対立だろうと,われわれは同じように再考する義務を負う.

9.2 Fictionalism and semantics

Kalderonは,道徳的談話についての妥当な意味論を作れると主張する.この意味論は,悪である,のような性質への言及を含むが,そういう性質が例化されることには肩入れしない.私Sainsburyの見るところでは,特別に道徳的性質の存在を要求しないという点で,道徳についての虚構主義がよいように思える.RWRも含め,多くの意味論的理論は,そういう要求をしない.じっさい,RWRは「勇気ある」とか「悪い」とかの単項述語があることと,なおかつそれが特別な道徳的実体への肩入れなしで満足な意味論を持てることとを許す.

9.3 The value of morality from a fictionalist point of view

ただのフィクションがどうしてわれわれの人生の指針になるのか? もちろん,ふつうのフィクションを読むことでも,道徳的に向上することはありうる.怠惰や小心がもたらす破滅的な結果がわかったりとか,高貴なふるまいのすばらしさを感じたりとかである.しかし,ある行動をとるのが正しいということについてのフィクションが,なぜわれわれを実際に行為させるのだろうか? この問題にKalderonはほとんど注目していないが,Richard Joyceの論文では焦点が当たっており,Joyceは,大きなリスクについて用心深く考える際,用心深い行動の決意を固める役に立つ,と論じる.ここでは,このJoyceの立場は,われわれの人生において道徳が果たす役割の正当化としては不足だと論じる.

10 Retrospect

この章では,虚構的談話についての形而上学と,虚構主義という形をとっている形而上学的アプローチとが,どういう関係にあるかを振り返る.