いちゃいちゃすることとちゃらちゃらすることとの違い
恋の境界事例
みなさんこんばんは.第19回文学フリマの開催まで1ヶ月を切りました! 今回はどんな本に出会えるかわくわくしますね.
私はこれまで長いこと購入専門で参加していたのですが,第19回は久しぶりに出店側で参加できることになりました.取り組んだものの1つが「恋愛SF」というテーマです.
このテーマを聞いてみなさんはどんな作品を思い浮かべるでしょうか? 私の場合,まっさきに思い浮かんだのは「恋の境界事例」というキーワードでした.特異な状況,それもなるべくなら現実には起きていないけれども可能ではあるような状況での恋愛は,ふつうの恋愛とどうちがい,どこが同じなのか.SFのなかで,恋愛というものを,いわば極地での拷問にかけることで,恋愛の本性を引きずり出そうというわけです*1.
一筋縄ではいきませんでしたが,最終的には,ほぼ納得のいくものができあがったと自負しております.11月24日(月祝)の第19回文学フリマ,イ-65「アーカイブ騎士団」ブースにて頒布予定の 恋愛SF小説集(forthcoming) に,“恋愛探偵と密室恋人”という形で収録していただきました.ほかにも,「恋愛SF」がテーマの小説が多数収録されますので,ぜひお手にとってご覧ください.
そしてここでは,頒布前からみなさんに「恋愛SF」についてのイメージを高めていただけるよう,「恋の境界事例」となるような文献を,いくつか紹介していきたいと思います.
それでは今夜も,恋の境界事例! ラウンザコーナ☆
Carrie S Jenkins, "The philosophy of Flirting"
第1回でご紹介するのは,Carrie S Jenkinsの“こなをかけることの研究”(2006初出)です.flirtという語彙は日本語にはなかなか訳しづらいのですが,ロマンス(あるいは性交渉)を匂わせるような言動をする,というところでしょうか.流し目,足を組み替える,などが典型的な動作だそうです.手元の本からそれっぽいところを抜き出すと:
「気にするな、きみのせいじゃない」フィリップはなぐさめるようにいって、ジョスリンの頬に指をあてがった。「さいわい、ぼくは喧嘩っ早い嫌みな女が好きでね」
デンティンガー,宮脇・訳,誰も批評家を愛せない(1992,東京創元社)
http://www.amazon.co.jp/dp/4488270026
とかでしょうか.この例は互いに“つきあっている”とわかっているひとたちのあいだでのことですが(「女優ジョスリン」が探偵役で,刑事「フィリップ」とともに事件を解決する),そうでないひとたちのあいだでもflirtはよくあります.ある種の敬意の表現であるとすら言われます*2.ですので,「いちゃつく」「こなをかける」「アプローチする」「モーションをかける」などの訳語はどれもちょっと外しているところがあります.
Jenkinsはこの文献で,flirtするとはどういう行為のことなのかを分析します.Jenkinsは以下のものをflirtと区別したいようです:
- 子どもがやる,結婚式ごっこ.愛を誓う言葉と同じものを口にしたり,キスをしたりするかもしれないが,参加者はflirtしあっているわけではない.ここから導かれること:flirtするには,そうする意図を行為者に適用できないとだめ.単にちゃらちゃらする〔behaving flirtatiously〕だけではflirtすることにならない.
- 自分が相手にロマンス的(あるいは性的)魅力を感じていることを単に真摯に宣言すること.これはflirtになる場合もあるが,ならない場合もある.ここから導かれること:flirtの条件をつくったら,それがちゃらちゃらする〔behaving flirtatiously〕ことなくflirtすることもできるようになっているかどうか確認しよう.また,単なる真摯な宣言が自動的にflirtに含まれてしまうことがないように,何か特別な要素を条件に加えたい.
いっぽうで,以下のようなことは,flirtすることだと言いたいようです(つまりflirtの条件が以下を排除してしまうようではいけない):
- 互いにロマンス的(あるいは性的)接触の可能性があることをすでにわかっている間柄で行うこと.ここから導かれること:flirtするときに意図すべきことは,可能性の明示では足りない.
- 互いにロマンス的(あるいは性的)接触の可能性がありえない間柄で行うこと.ここから導かれること:flirtするときに意図すべきことは,可能性の明示ではない.
- 相手を特定しない形で行うこと.ただし,グループとして特定しておく必要はあるかもしれない.
- 人間以外の,たとえばチャットbotに対して行うこと.
ここからJenkinsが導く,flirtすることの条件は,以下のようなものです:
- flirtするひとは,flirtする相手とのロマンスや性交渉に自分が乗り気であることを相手に明示するぞ,という意図を持って,そうだと心得て,しかも茶目っ気のあるやりかたで,行為しているひとのことである.
- flirtするひとは,flirtする相手が,(何らかの重要な意味で)反応できると信じていなくてはならない.
「乗り気」条件によって,可能性の有無と関係なくflirtできるようにしてあり,また「茶目っ気」条件によって,flirtの特徴をつかもうとしているのですね.
さて,「茶目っ気ある方法」条件の明確化(単にからかっているだけでなく本気の場合も排除しないような条件でないといけない)など,哲学的に興味のあるところはまだいくつかあると思いますが,私がこの論文で注目したいのは,Jenkinsの発案した1つの思考実験です.
Kripkeは以前,色という性質が傾向性によって説明できないことを示すために,こんな思考実験を考案しました——「殺戮のイエロー」〔killer yellow〕.これは,その色がまさにその色であるということによって,見たひとの脳の回路をその瞬間に破壊し,相手を死なせてしまうという,おそるべき色をした黄色い物体です.この物体の色は,「ひとに特定の視覚経験を生み出す」という傾向性を持っていません——なぜならその視覚経験が生まれる前に,見たひとは死んでしまうので.こんな色が可能であるのであれば,色の傾向性説は誤りということになるでしょう.さて,Jenkinsはこの思考実験をもとに,「殺戮の誘惑者」〔killer flirt〕なる思考実験を提案しました.この「殺戮の誘惑者」は,flirtした瞬間に相手を死なせてしまうという,おそるべき人物です.南無三!? しかし,flirtの定義によっては,この人物は少しもおそろしくありません.もし,flirtの定義として,「ロマンス的(あるいは性的)接触の可能性を明示するぞという意図を持って行為する」のような条件を入れたとしましょう.すると,私たちはこの人物にflirtされることはありえません——なぜなら私たちはflirtされた瞬間に死んでしまうので,その後のロマンス的(あるいは性的)接触の可能性はゼロであり,結果,「殺戮の誘惑者」はflirtに必要な意図を持てず,flirtできないからです.しかし「殺戮の誘惑者」がflirtできないというのは,奇妙な帰結に感じられますよね.というわけで,この思考実験からわかることは,以下です.すなわち,「殺戮の誘惑者」がおそろしい人物だという直観を守るためには,flirtの定義に「可能性を明示するぞ」が入っていてはいけないのです.
それはそれとして,この「殺戮の誘惑者」の思考実験の設定をもとにシミュレーションを行うこと*3は,それじたい興味深いものではないでしょうか? こなをかけられただけでひとが死んでしまうのが一般化したとしたら,私たちの恋愛模様もまた大きく変容せざるをえませんよね.そして,そんな世界では,だれがだれにこなをかけたのかが,非常に重要な問題となるでしょう——だれがだれを殺したのかが重要である以上は.そしておそらく,そうした世界では,恋愛そのものが違法とさえされるかもしれません.
というわけで考えた,「恋愛SFミステリー」の設定がこちらです:
「だれかに恋されると死ぬ」奇病が蔓延し,人類が恋することをあきらめてから20年.それでもやむにやまれず恋してしまった,殺人犯ならぬ“恋”人犯たちは,国によって収監され,ひとを恋さないで生きていく講習を受けることになっていた.
講習の最終段階は,恋人犯たちを集めた相互研修合宿.外部から隔絶した環境で短期間の共同生活を送り,恋人事件が起きないことをみきわめるのだ.世話人である東京都生活文化局・習慣改善課の吉田が,彼らを案内して合宿所に入ると,密室状態の部屋のなかで,得体のしれない人物が死んでいるのが見つかる――何者かに恋されて.
だれが恋したのか? 恋されたのはだれなのか? これを皮切りに,元恋人犯たちの恋しあいが始まってしまうのか? 困惑する吉田のもとに現れたのは,「絶対に恋せない」“恋愛探偵”!
自作の宣伝となってしまいましたが,“恋愛探偵と密室恋人”,皆さんにお届けできることを楽しみにしております.
次回予告
恋愛が危険になる世界は,「恋されると死ぬ」世界ばかりではありません.そんな可能性を描いた漫画を紹介したいと思います.