あなたのkugyoを埋葬する

主に読書内容の整理のためのブログです。Amazon.co.jpアソシエイト。

カ29 空際,*兼ネル*(¥1,200)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で22日め(時間操作ずみ).
私が文学フリマで買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(29評/30購入) - kugyoを埋葬する

カ29 空際,*兼ネル*(¥1,200)

黒死館附属幻稚園 [第十九回文学フリマ・評論|ファンタジー・幻想文学・怪奇文学] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

漫画、小説、短歌、評論、レビューなどを集めた,「性別越境アンソロジー」.参加人数もとても多くて楽しめる.
 性別越境フィクションの場合,こういうことがありがちである——すなわち,なぜこの人物は性別越境という異様なことを達成してよいことになっているのですか? という問いが立てられ,それに対して,この人物は性別越境的に美しいから・繊細だからです,という答えが返ってくる.私がこの問い・答えに不満なのは,性別越境は観念的に困難・異様なのではなく現在の偶然的な社会状況に即して困難なのであって,その困難さを描くのは難しいし,その種類の困難さを乗り越えられるのは美しさや繊細さなどではなくタフさや境遇でしかない,と考えるからだ.耽美は性別越境にそぐわないのではないか(現実に対してモラルを欠いていないか)と私は思う.その点から見てすばらしいのは,merangree,“母の脂”で,性別越境を試みる弟の「すばる」をケアする,母子家庭に育った「私」の視点から,化粧の魔術的なとさえ言える効力や,弟が被る暴力などをうまい距離を持って描いている.
 このうまい距離というのが重要で,小説の最初のページを開く瞬間において私たちは,読みはじめたときには赤の他人でありほとんど興味の持てないはずの人物の行動を,現実にはありえないほど丹念に押しつけられることになる.もちろんその押しつけ自体にパワーがあったり,たまたま読むひとの境遇にぴったりはまっていたりすれば,それは心地よい強制奉仕となるのだけど,そうでない場合には,小説じたいが問題の人物と距離をとって,読みはじめたときの物語の読み手との距離に根拠を与えてやらなければならないのではないか.
 ほか,おがわさとし,“倒錯ロミオ”が,高校の制服がセーラ服:男性,詰め襟:女性というふうに入れ替わっている世界(おそらく性役割の一部,まなざす側も入れ替わっている世界.p. 128)での,文化祭で「ロミオとジュリエット」の翻案演劇をやる,というのを描いていて非常におもしろい.作中劇の翻案のしかたじたいにもアイデアがあって,ロミオは女性が,ジュリエットは男性が演じるというふうに入れ替えて翻案してある.マンガのなかに出てくる劇の設定がそれ自体でひねってあるというのはなかなか見かけないので,これはもっと長く読みたい作品.