キ18 早稲田大学現代文学会,*Libreri 22*(¥500)
第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で21日め(時間操作ずみ).
私が文学フリマで買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(29評/30購入) - kugyoを埋葬する
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早稲田大学現代文学会 [第十九回文学フリマ・評論|文芸批評] - 文学フリマWebカタログ+エントリー
特集というかテーマが,メルヴィルの*代書人バートルビー*(1853)の"I would not prefer to."で,収録されている論考のところどころに「できればしないほうがいいのですが」が見える.ただ,自分の無能や努力不足の言いわけとしてこのセリフを使いつつ何かする,というのはおかしくて,話の進行の必然として何もしないままどんづまりに入っていく,その呼び水としての「できればしないほうがいいのですが」だと思うので,ちょっとどうかと思う使いかたも散見された.
Masando Sato and T. S, "No Future ——Why is thre no future rather than nothing?"は,書簡インタヴューの形をとってクィア・スタディーズやクィア理論がたどってきた経緯をまとめており,勉強になった.ベルサーニやエーデルマンといった研究者が称揚するクィアの「否定性」「反社会性」に異を唱えるハルバーシュタム(Halberstam, The Anti-Social Turn in Queer Studies,2009)のような整理を学会やフォーラムの開催に即してまとめる流れはみごと.ド・ローレティスが,自分の言う「クィア・セオリー」と団体名Queer Nationとが「何の関係もない」と述べているところは,今年度のクィア理論入門講座でも話題になりました.
ほか,左翼のフォークソング集会のもようをつづったBannnai Tatara, "La musique savante manque a notre désir"は,即興演奏していた連中がメインステージに突撃するあたりの「牧野」との応酬が読んでいておもしろいし(しかしこの著者は何歳なのだろう?),FPS経験をつづった1人称小説のTomofumi Yuya, "Kill, Death, Assist"は,逆にセリフを極力排したつくりが上品.考えてみれば,私たちはFPSゲームのプレイ中は,声に出してはしゃべらないのだ(せいぜいチャットするだけ).
あと,私の買った版ではどうやら製本後に削除されたページがあるらしく(p. 56からうしろが強引に切り取られたようになっていて,奥付の著者一覧にも黒塗りがある),事情を邪推してしまうが,あるいはこれも仕掛けなのかもしれない.