あなたのkugyoを埋葬する

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言明されていない構成要素〔unarticulated constituents〕

 最近,発話の「言明されていない構成要素」(unarticulated constituents)というのに興味を持ったのですが,Braun, David, "Indexicals", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2015 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <http://plato.stanford.edu/archives/spr2015/entries/indexicals/> にちょっとだけ説明があったので訳しました.

## 2 どういう表現が指標詞なのか?

### 2.2 厳格な文脈主義,隠れた指標詞つき不変主義,言明されていない構成要素つき不変主義

 ある表現についての文脈主義的な説明というのは,隠れた指標詞を仮定した不変主義とは区別されるべきだ.後者のたぐいの立場では,その表現それじたいは文脈非鋭敏的であるけれども,それが生起するときには(しばしば)発声されない文脈鋭敏的な表現の生起を伴うのだ,となる.こういう文脈鋭敏的な表現は,ときに指標詞だとか,代名詞だとか,変項とかだと言われたり,それに似たものだと言われたりする.例として,段階的形容詞「豊かだ」を考えよう.厳格に文脈主義的な説明だと,この形容詞は単項述語であり,その内容はどの文脈でも単項性質である,ということになる.ある文脈だと,「豊かだ」の内容は(おおまかに言って)哲学者として豊かだという性質なのだが,べつの文脈では,大企業の最高経営責任者として豊かだという性質が内容になる.一方,隠れた指標詞を入れた不変主義で「豊かだ」を説明すると,「豊かだ」の内容は文脈ごとに変わるようなものではないことになる.この内容は,どの文脈でも,同一の2項関係であり,おおまかに言えば「として豊かだ」というようなもので,あるひとと(おおまかに言って)ある性質とのあいだにありうる関係,ということになるのだ.ときには,たとえば「ジョージは哲学者として豊かだ」のように,述語「豊かだ」が2変数(言語的変数)の述語として文に現れることもある.だが,「ジョージは豊かだ」のような場合は,第2の発声される変数がないけれども,述語「豊かだ」は,代名詞に似た,文脈鋭敏的表現の発声されない生起を伴っている.隠れた指標詞の内容は,ある文脈では哲学者であるという性質になっていて,べつの文脈では大企業の最高経営責任者であるという性質になっているのだ.Partee (1989), Condoravdi and Gawron (1996), Stanley and Szabo 2000を見よ.
 「豊かだ」の説明の3つめのタイプは,言明されていない構成要素のある不変主義だ(Perry 2000, Chapter 10).この手の立場でも,「豊かだ」は2項述語で,どの文脈でもその内容は先に述べたような「として豊かだ」という2項関係なのだが,ただし隠れた指標詞を伴うわけではない.したがって,「ジョージは豊かだ」という文の内容は,どの文脈でも,完全に命題的だというわけではないことになる.ただし,このたぐいの立場のうちいくつかにおいては,この文を発話した話者は典型的には,ジョージは哲学者として豊かだ,のような完全な命題を発話していることになる.議論については,Bach 1994, 2005を見よ.

コメント

 これだけだとちょっとだけすぎて,なんのことだかよくわからないと思うのですが,要するにこうです——ふつうあなたがたは主張というのを,文脈なり指標詞の指示対象なりを決めてやればそれが主張するところの命題がなんであるかが定まるものだ,と思っておいででしょうけれども,じつはそうではなく,われわれは不完全命題を主張しているのだ,というのです.
 これの実際の使いみちとしては,SEPの命題的態度報告のパズルの文脈主義的説明があがっています*1.こちらのパズルをかいつまんで言うと,

  1. ロイス*2は,スーパーマンは強いと信じている.
  2. ロイスは,クラーク・ケント*3は強いと信じている.

という2つの命題は真偽がちがうだろうが,それをどうやって説明するか,というものです.言明されていない構成要素を使う場合の解決は,

  • (1)は隠れた言明されていない構成要素として,ロイがスーパーマンについてスーパーマン的思考をしていることを暗黙のうちに指示しており,
  • (2)は隠れた言明されていない構成要素として,ロイがスーパーマンについてクラーク・ケント的思考をしていることを暗黙のうちに指示しており,

ロイはスーパーマンについてスーパーマン的思考をしたときにだけ,スーパーマンは強いと信じているので,(1)と(2)とで真偽が異なることになるのだ,というわけです.
 でもこの解決ってあやしくないか? と思うのももっともで,たとえばこの解決では述語「信じる」が,信じるひと・信じる内容・ナントカ的思考の3つの項をとる3項述語になってしまうけどいいの? これって意味論的説明になってるの? など,疑問点はいくつもありますよね.そもそも言明されていない構成要素などというものが意味論的にあるのかどうかについても,論争が続いているようで,今後も追いかけたい分野です.
 日本語の最近の文献だと,この本の9章が命題態度の章です.

意味ってなに?: 形式意味論入門

意味ってなに?: 形式意味論入門

追記

 ありがたくもご指摘をいただき,修正しました.

*1:文脈主義的説明としてあがっていますが,言明されていない構成要素を使う立場は文脈主義ではないように,私には思えます,いまのところ

*2:クラーク・ケントはロイスに好意を抱いていて,ロイスはスーパーマンに関心がある.

*3:スーパーマンに変身するひと.つまり同一人物