あなたのkugyoを埋葬する

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美しい芸術SFの世界

 世のなかにはアートミステリーというものがあります.アートを扱ったミステリーのことで,そこでは芸術作品が盗まれたり,芸術作品の制作者があばかれたり,芸術作品のなかに暗号が仕込まれていたりします.芸術の世界にはさまざまなしきたりや専門用語があり,それが日常とのギャップを作り出すのです.ギャップあるところ,それを利用したトリックあり.ミステリーがアートのちからを借りたがるゆえんです.
 ではSci-Fiの世界ではどうでしょうか.一見すると,芸術SFやアートSFというのはあまり作例が多くないように思えるかもしれません.というのも,芸術というのはどこか,SFが重んじる科学的精神と相容れないところがあるような気がするからです.制作はさておくとしても,とくに芸術鑑賞においてはそうです.絵画にちかよって定規を当てて消失点を探ってみたり,コンサート会場で指折り数えてbpmを調べてみたり,ダンサの骨格の緊張をレントゲン写真で撮影しようとしたりするのは,典型的な鑑賞とは言えそうにありません.芸術というのはもっとこう,霊性で味わう神秘的ななんかだ.そうですね?
 しかし,いくら神秘的なところがあるといっても,芸術は魔術とちがって現実にわれわれの行動や判断に影響を及ぼしています.われわれの現実の一側面であるそういう作用がエスカレートしたらどうなるか,ということを想像するのは,まさにSFの得意分野です.
 というわけで今回は,芸術が関係するSF作品をいくつかご紹介しましょう!

クレス,ダンシング・オン・エア

  • ナンシー・クレス,"ダンシング・オン・エア"(田中一江・訳,1993=2002).in: 山岸真(ed.),90年代SF傑作選 下,pp. 375-483(2002).
扱う芸術作品
バレエ
扱う問題
エンハンスメントと教育とのちがい,自己実現との関係

 バレリーナには怪我がつきものですが,それを減らし骨盤までも開脚のために変形させてしまう生体能力強化が勃興してきた時代をえがく中編です.「未加工」の「自然芸術」をよしとする「ニューヨーク・シティ・バレエ団」に属するプリマ「キャロライン」と,能力強化したダンサを支援するその母「ミズ・オルスン」との確執.バレエ・ダンサの連続殺人の取材をはじめた「スーザン」の娘「デボラ」も,高校卒業までに「ニューヨーク・シティ・バレエ団」で役を得ようとして,「スーザン」と衝突しています.取材のなかでしだいに「キャロライン」の突然の不調に迫っていく「スーザン」の視点,そして「キャロライン」の警護につけられた能力強化犬「エンジェル」の視点から,生体能力強化技術の行くすえが明らかにされていきます.
 バレエ演目の美というよりは,ダンサたちの自己実現と,そのためなら同意のうえのエンハンスメントはどこまで許されるのか,あるいは本人に同意がない場合に,それは教育によって将来の選択肢を狭めてしまうのとどこが違うのか,といった問題が主眼に置かれています.
 アンソロジーである90年代SF傑作選 下(2002)のほか,金子(ed.)の短編集 ベガーズ・イン・スペイン(2009)にも収録されています.

ベガーズ・イン・スペイン (ハヤカワ文庫SF)

ベガーズ・イン・スペイン (ハヤカワ文庫SF)

90年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

90年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ヴァンス,月の蛾

扱う芸術作品
仮面,未来の小型楽器(ヒマーキン,ガンガ,ザチンコ,キヴ,ストラパン,ゴマパード)
扱う問題
儀礼としての伴奏

 「惑星シレーヌ」には,奇妙な礼節慣習があります.会話の際には,階級に応じて適切な小型楽器を使って伴奏をしないといけません.そして顔面をさらすことは非礼とされ,やはり社会的立場を反映した仮面をつけることが要求されるのです.そんな惑星にあたらしく領事代理として着任した「シッセル」は,この不慣れな礼節から生じるさまざまな障害に悩まされます.さらに,上司である「星際政策委員会執行部長」からは,着陸してくる犯罪者「アングマーク」を逮捕するよう指令がくだされるのです.タイトルにもある「月の蛾」をかぶった「シッセル」は,いちどは「アングマーク」を取り逃してしまいますが,この慣習を利用して,3人の要職者のうちだれかになりすました「アングマーク」を捕えようとします.

 シッセルは気のないようすでその仮面を検分した。材料はねずみ色の毛皮で、口の穴の両側に房状の毛が生え、ひたいには、一対の羽根に似た触覚が突き出ている。こめかみの横からは白いレースが垂れさがり、両眼の下には一連のピンクのひだがあって、悲しげであると同時に滑稽な効果を生み出している。
 シッセルはたずねた。「この仮面はある程度の威信を表しているんでしょうか?」
「いや、たいしたことはない」

 アンソロジーである20世紀SF3 1960年代 砂の檻(2001)のほか,酒井(ed.)の短編集 奇跡なす者たち(2011)にも収録されています.
 

20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻 (河出文庫)

20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻 (河出文庫)

ノードリイ,デモクリトゥスのヴァイオリン

  • G・デイヴィッド・ノードリイ,"デモクリトゥスのヴァイオリン"(小野田和子・訳,1999=2001).in: S-Fマガジン,第42巻12号,pp. 72-92(2001).
扱う芸術作品
ヴァイオリン
扱う問題
芸術理解は構成要素の理解にとどまるか

 マイクロテクノロジー・エンジニアリング専攻の「キム」は,還元主義を否定する音楽学教授「スティーヴンズ」に一泡吹かせて単位評価をAにあげ奨学金を確保すべく,「スティーヴンズ」の持つ名器ストラディバリウスを,分子的に複製しようとします.すりかえた分子的複製を演奏したことに「スティーヴンズ」がじぶんで気づかないのなら,本物の楽器の優越性はなくなり,構成要素の理解は芸術理解に無関係だとする主張への反論になるからです.
 このS-Fマガジン2001年12月号の特集は「音楽SFへの招待」で,ほかに3編の音楽SF短編が掲載されているほか,中野善夫による"音楽とともにある物語たち"(pp. 95-98)というブックガイドなども入っています.ブックガイドでは,「音楽家の人生」「通信手段としての音楽」「呪術的な力」「時空を越える通路」「世界を歪める力・世界を構築する力」「機械仕掛けの音楽」という観点から,それぞれ数本ずつ作品を紹介しています.

そのほか

 そのうち紹介していけたらなと思っているものもあります.初出順に.

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 手前味噌になりますが,『形而上学刑事』シリーズの2次創作であり,未来芸術×分析美学×SF×ミステリー×アクション×エステがテーマの「分析美学エステティシャン」シリーズもどうぞよろしくね!