美しい芸術SFの世界
世のなかにはアートミステリーというものがあります.アートを扱ったミステリーのことで,そこでは芸術作品が盗まれたり,芸術作品の制作者があばかれたり,芸術作品のなかに暗号が仕込まれていたりします.芸術の世界にはさまざまなしきたりや専門用語があり,それが日常とのギャップを作り出すのです.ギャップあるところ,それを利用したトリックあり.ミステリーがアートのちからを借りたがるゆえんです.
ではSci-Fiの世界ではどうでしょうか.一見すると,芸術SFやアートSFというのはあまり作例が多くないように思えるかもしれません.というのも,芸術というのはどこか,SFが重んじる科学的精神と相容れないところがあるような気がするからです.制作はさておくとしても,とくに芸術鑑賞においてはそうです.絵画にちかよって定規を当てて消失点を探ってみたり,コンサート会場で指折り数えてbpmを調べてみたり,ダンサの骨格の緊張をレントゲン写真で撮影しようとしたりするのは,典型的な鑑賞とは言えそうにありません.芸術というのはもっとこう,霊性で味わう神秘的ななんかだ.そうですね?
しかし,いくら神秘的なところがあるといっても,芸術は魔術とちがって現実にわれわれの行動や判断に影響を及ぼしています.われわれの現実の一側面であるそういう作用がエスカレートしたらどうなるか,ということを想像するのは,まさにSFの得意分野です.
というわけで今回は,芸術が関係するSF作品をいくつかご紹介しましょう!
クレス,ダンシング・オン・エア
- 扱う芸術作品
- バレエ
- 扱う問題
- エンハンスメントと教育とのちがい,自己実現との関係
バレリーナには怪我がつきものですが,それを減らし骨盤までも開脚のために変形させてしまう生体能力強化が勃興してきた時代をえがく中編です.「未加工」の「自然芸術」をよしとする「ニューヨーク・シティ・バレエ団」に属するプリマ「キャロライン」と,能力強化したダンサを支援するその母「ミズ・オルスン」との確執.バレエ・ダンサの連続殺人の取材をはじめた「スーザン」の娘「デボラ」も,高校卒業までに「ニューヨーク・シティ・バレエ団」で役を得ようとして,「スーザン」と衝突しています.取材のなかでしだいに「キャロライン」の突然の不調に迫っていく「スーザン」の視点,そして「キャロライン」の警護につけられた能力強化犬「エンジェル」の視点から,生体能力強化技術の行くすえが明らかにされていきます.
バレエ演目の美というよりは,ダンサたちの自己実現と,そのためなら同意のうえのエンハンスメントはどこまで許されるのか,あるいは本人に同意がない場合に,それは教育によって将来の選択肢を狭めてしまうのとどこが違うのか,といった問題が主眼に置かれています.
アンソロジーである90年代SF傑作選 下(2002)のほか,金子(ed.)の短編集 ベガーズ・イン・スペイン(2009)にも収録されています.
- 作者: ナンシークレス,Nancy Kress,金子司
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/03/31
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- 作者: 山岸真
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ヴァンス,月の蛾
- 扱う芸術作品
- 仮面,未来の小型楽器(ヒマーキン,ガンガ,ザチンコ,キヴ,ストラパン,ゴマパード)
- 扱う問題
- 儀礼としての伴奏
「惑星シレーヌ」には,奇妙な礼節慣習があります.会話の際には,階級に応じて適切な小型楽器を使って伴奏をしないといけません.そして顔面をさらすことは非礼とされ,やはり社会的立場を反映した仮面をつけることが要求されるのです.そんな惑星にあたらしく領事代理として着任した「シッセル」は,この不慣れな礼節から生じるさまざまな障害に悩まされます.さらに,上司である「星際政策委員会執行部長」からは,着陸してくる犯罪者「アングマーク」を逮捕するよう指令がくだされるのです.タイトルにもある「月の蛾」をかぶった「シッセル」は,いちどは「アングマーク」を取り逃してしまいますが,この慣習を利用して,3人の要職者のうちだれかになりすました「アングマーク」を捕えようとします.
シッセルは気のないようすでその仮面を検分した。材料はねずみ色の毛皮で、口の穴の両側に房状の毛が生え、ひたいには、一対の羽根に似た触覚が突き出ている。こめかみの横からは白いレースが垂れさがり、両眼の下には一連のピンクのひだがあって、悲しげであると同時に滑稽な効果を生み出している。
シッセルはたずねた。「この仮面はある程度の威信を表しているんでしょうか?」
「いや、たいしたことはない」
アンソロジーである20世紀SF3 1960年代 砂の檻(2001)のほか,酒井(ed.)の短編集 奇跡なす者たち(2011)にも収録されています.
- 作者: ジャック・ヴァンス,浅倉久志,酒井昭伸
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2011/09/26
- メディア: 単行本
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- 作者: アーサー・C.クラーク,ロジャーゼラズニイ,ハーランエリスン,サミュエル・R.ディレイニー,J.G.バラード,中村融,山岸真,Arthur C. Clarke,Roger Zelazny,Harlan Ellison,Samuel R. Delany,J.G. Ballard
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2001/02/01
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ノードリイ,デモクリトゥスのヴァイオリン
- G・デイヴィッド・ノードリイ,"デモクリトゥスのヴァイオリン"(小野田和子・訳,1999=2001).in: S-Fマガジン,第42巻12号,pp. 72-92(2001).
- 扱う芸術作品
- ヴァイオリン
- 扱う問題
- 芸術理解は構成要素の理解にとどまるか
マイクロテクノロジー・エンジニアリング専攻の「キム」は,還元主義を否定する音楽学教授「スティーヴンズ」に一泡吹かせて単位評価をAにあげ奨学金を確保すべく,「スティーヴンズ」の持つ名器ストラディバリウスを,分子的に複製しようとします.すりかえた分子的複製を演奏したことに「スティーヴンズ」がじぶんで気づかないのなら,本物の楽器の優越性はなくなり,構成要素の理解は芸術理解に無関係だとする主張への反論になるからです.
このS-Fマガジン2001年12月号の特集は「音楽SFへの招待」で,ほかに3編の音楽SF短編が掲載されているほか,中野善夫による"音楽とともにある物語たち"(pp. 95-98)というブックガイドなども入っています.ブックガイドでは,「音楽家の人生」「通信手段としての音楽」「呪術的な力」「時空を越える通路」「世界を歪める力・世界を構築する力」「機械仕掛けの音楽」という観点から,それぞれ数本ずつ作品を紹介しています.
そのほか
そのうち紹介していけたらなと思っているものもあります.初出順に.
- J・G・バラード,ヴァーミリオン・サンズ (ハヤカワ文庫SF)(1971=1986,浅倉ほか訳):雲の彫刻,歌う花,感情に合わせて音を奏でる音響彫刻,持ち主の性格に合わせて変形する住宅
- バリントン・ベイリー,カエアンの聖衣 (ハヤカワ文庫 SF 512)(1976=1983,冬川・訳):着ると他人への影響力が著しく向上する洋服(スーツ)の話.生まれたときから人造ボディの中にいるため服という概念に関心がない連中なども出てくる,衣服とはなんであるかという問いを立てた長編
- オースティン・スコット・カード,無伴奏ソナタ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫 SF カ 1-26)(2014):"無伴奏ソナタ"(1979)は,オリジナルな才能を求める管理社会で,バッハの演奏を自分の演奏に取り入れてしまったがために追放されてしまうやつの話.
- 大森望(ed.),てのひらの宇宙 (星雲賞短編SF傑作選) (創元SF文庫)(2013):中井紀夫,"山の上の交響楽"(1987)は,800年演奏がつづいている交響楽が難所にさしかかろうとする話.
- イーガン,しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)(2003):"愛撫"(1990)は,絵画を現実に模倣するためにキメラ生物を作ろうとするやつを追う刑事の話.
- 飛浩隆,象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)(2004):"デュオ"(1990)はシャム双生児のピアニストの話.表題作"象られた力"(2004)は図形デザインの持つちからが俎上にのぼる.
- チャン,あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)(2003):"顔の美醜について"(2002)は,相貌から受ける印象のうち美醜だけを麻痺させる装置を受け入れはじめた社会の話.この装置の名前は「カリー」といい,分析美学者Gregory Currieの名前を連想させますが,つづりはちがいます.
- パオロ・バチガルピ,第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ):(2012):"フルーテッド・ガールズ"(2003)は骨をフルートに改造されている少女の話.
- 菅浩江,永遠の森 博物館惑星 (ハヤカワ文庫JA)(2004):巨大美術館に集まるさまざまな作品.表題作"永遠の森"は菌類の成長を閉じ込めたバイオ・クロックを扱う
- 菅浩江,誰に見しょとて (Jコレクション)(2013):化粧・美容SF短編集.
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手前味噌になりますが,『形而上学刑事』シリーズの2次創作であり,未来芸術×分析美学×SF×ミステリー×アクション×エステがテーマの「分析美学エステティシャン」シリーズもどうぞよろしくね!
- “分析美学エステティシャン 抽象物としての芸術作品”(2014):31世紀の未来,抽象物であるようなそんな芸術作品が盗まれるという事件に挑む,エステで働く分析美学者.ロボットも登場.
- “分析美学エステティシャン 同一都市”(2015):31世紀の未来,互いに同一である都市の美の本質に挑む,エステで働きはじめるまえの分析美学者.宇宙怪獣も登場.
- “分析美学エステティシャン 加速する美(仮題)”(forthcoming):31世紀の未来,モトクロスの技芸を競うレースで起きた不可能犯罪に挑む,エステをクビになった分析美学者.変形ロボットも登場.