都市の環境美学を題材にしたSF小説を書きました
2014年に“分析美学エステティシャン 抽象物としての芸術作品”というSFミステリー小説を公開したのですが,そのつづきを書きました.“分析美学エステティシャン 同一都市”というタイトルです.
https://drive.google.com/file/d/0B747RMSSVeGvVThhX0FjSnhGT2c/view
前作(ダウンロードリンク)では,エステで働く分析美学者のところに,哲学好きのロボットとその相棒とが事件を持ちこんでくる,という筋で,芸術作品の存在論的地位をネタにしたものでしたが,今作( ダウンロードリンク)では,その分析美学者が学生だったころの事件で,2つで1つの都市で暗躍する,悪の哲学者の陰謀と対決します.ネタは都市の環境美学です.
2月ごろ,美学の勉強会の席で,「都市の同一性」という話題が脱線としてあがり,これはおもしろいと思ったので小説に仕立てようと思ったのが,この作品の書きはじめでした.もともとは,こちらはもっと短くする予定で,それとはべつに,前作から直接につづく続編を準備していたのですが,そこに登場予定の人物を考えているうちに,いったん過去の話を書いてもいいんじゃないか,という横着を思いついてしまい,こちらに盛りこんでみたところ,あれよあれよと言うまに58000字弱の中編になってしまいました.もっと手短に論証ができるのではないかと思うのですが,これについては今後の課題としたく思います.
論証といえば,このシリーズのささやかな目標は,哲学者が論証をしているさまをいきいきと描く,というところにあります.2次創作の元ネタとなっている,高田,“形而上学刑事”*1シリーズは,形而上学を扱っていながら衒学的なところが少しもなく,それどころか,哲学的にも難問として扱われている問題が毎回登場して,論文でなく小説だからこその方法で解決する,という筋立てをとっている魅力の作品ですが,哲学的問題それじたいやその小説のなかの事件への適用,という点が非常に見事で,それをスマートに解決していく主人公にもひかれるものがあります.ただ,名探偵とちがって現実の哲学者たちは,手がかりがそろうと一瞬に真相を見抜くというのではなく,むしろ行きつ戻りつしながら議論しあって真相に近づいていく,というところがあるように思います.現実の哲学の議論においては,そのさまじたいがとてもスリリングなドラマになっていると私は思うのですが,もちろんそれは論文から読み取れるものではなく,研究会や学会などで垣間見るほかありません.なんとかそれを紙上で再現できないか? 議論や説明のおもしろさを体感してもらえないだろうか? というのが,この2次創作作品の目指すところとなりました.
もともと,都市と都市 (ハヤカワ文庫SF) や もうひとつの街 といった「ひとつの場所にふたつの異なる都市」が出てくる小説を読んでいたこともあり,デュプリカトゥス市とレプリカトゥス市という,「ふたつの場所にひとつの同じ都市」を扱うということじたいはすぐに決まりました.しかし,都市に生じる美学的問題というのを考えるのが難儀でした.まず文献がほとんど見つからない.参考文献でも書いたとおり,この手の「環境」を美学的対象とするような議論は環境美学というのですが,都市環境の美学で探して出てくるのは都市のなかの芸術作品とか建築美とかの話題であり,都市そのものを鑑賞するような議論はないようです.おそらくもっとも近いのは景観論で,これについては 失われた景観―戦後日本が築いたもの (PHP新書)などを手始めに調べたのですが,都市景観については,美学ではまだあまり研究がすすんでいないのかもしれません.識者の皆様のご指摘を待ちたいところです.「パリは美しい」「リオデジャネイロには繊細な魅力がある」みたいな美的判断,ひとびとはひんぱんに下していると思うので.手に入ったなかでは,
- Haapala, A., "On the Aesthetics of the Everyday: Familiarity, Strangeness and the Meaning of Place", 2005, in: Light, A. and Smith, M. (eds.), The Aesthetics of Everyday Life, 2005.
がそれに近かった.
*1:新作も出ている! http://www.amazon.co.jp/dp/B00PHFLGLU