あなたのkugyoを埋葬する

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ラディカル・グッドスピード

「前田塁」についてすこし - kugyoを埋葬する


と、いう話を、こないだ市川真人主催の飲み会のときにぶつけてきたのだけど、言っているそばから「遅れてきたテクスト論者」前田塁の話を市川真人にしたってしょうがねえやな、という気分になった。ところで、市川真人という書き手は、「週刊読書人」に毎月1回の文芸欄を連載しており、そこでは月ごとに文芸誌評を離れて暴走していく市川真人の文章が(多少の誤字とともに)楽しめるのだが、その末尾に据えられる執筆者紹介は、「群像」のときとは違い「(いちかわ・まこと氏)」とあるだけである。「週刊読書人」のほかの欄の末尾には、必ず執筆者の生年や近著が載せられていることを鑑みれば、「週刊読書人」内での「市川真人」の位置もまた、「群像」での「前田塁」同様にあやしいものと見える。というか、この「市川真人」と「前田塁」との使い分けられを起点に、今回は批評を駆動させたのだった*1
 飲み屋を追い出されながら市川真人が私に教えてくれたのは、「週刊読書人」サイドとの肩書きに関する駆け引きだった。「市川真人」は「文芸評論家」ではない(それは「前田塁」だ)し、市川真人の提案した「博打うち」なる肩書きは拒否されるしで、ひと悶着ののちに、「(いちかわ・まこと氏)」という奇妙な紹介のされかたに収まったのだという。もちろん、この逸話からわかるとおり市川真人がこうした使い分けに意識的であるとはいえ、それが「前田塁」の意識と通じるわけではないことは、すでに明らかだろう。そうした意味で、私は市川真人にいささか不躾で性急なインタビューをしながら、自制しておけばよかった、せめて年号の謎をもう少し丹念に追ってからなら、と、冒頭に述べたように正しい徒労感に襲われたのである。
 今回の記事で、かなり文学史をぞんざいに扱っているとはいえ、3つの年号にそれなりの意義を持たせられたことについては、それだから特に誇るつもりもなく、むしろいまさらながら「もっと早く気がつけよ」と自分に愚痴をこぼしたくもなる。当時は、大正14年といえば梶井の『檸檬』、昭和2年といえば芥川の自殺、昭和8年といえば谷崎の『春琴抄』というぐらいしか気が付かず、苦労した。


 以前書いた記事(講演「世界の中に人を位置づける」に行ってきた - kugyoを埋葬する)に関連して、UTCP blogに講演会の報告記事が載った。
【報告】世界の中に人を位置づける (鈴木生郎さん講演会) | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
写真や音声ファイルが公開されているけれども、私の姿はうまく隠れている(と思う)。

*1:そういえば、いまは公開停止中の『1000の小説とバックベアード』論、近々公開再開しますよ。