barthes1980さんへの応答
先日の勉強会を振り返ってふと思ったのですが、テクストの著者が誰か、というのが大問題になるのは、文学よりも大勢の人間が製作に加担する映像作品のような気がします。監督や脚本家だけでなく、俳優や声優さえもテクストの作者である、ということもできるのですから。数限りない人間がテクストの作者に名乗り出ることができる、数限りない人間をテクストの作者と設定することができるわけです。
これについては、特に哲学的関心を引く問題ではないように思います。私が問題にしていたのは、一つのテクストに複数の作品(したがって複数の作者)が対応する場合であって、一つの作品に複数人の作者が対応する場合ではないからです。勉強会中に出ていた編集者の例もこれと同様ですよね。
勉強会で登場させた双子の名前をマナとカナととすれば、私が問題にしていた例は、
- テクスト“夏の思い出”-作品『マナの夏の思い出』-作者マナ
- テクスト“夏の思い出”-作品『カナの夏の思い出』-作者カナ
ということがありえるのか(ありえない)、ということであり、
のどちらが健全か、という例を扱っていたのではありません。