あなたのkugyoを埋葬する

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D52 かなめ珈琲会,*リープ*(¥400)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で6日め.
私が文学フリマで買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(29評/30購入) - kugyoを埋葬する

D52 かなめ珈琲会,リープ(¥400)

かなめ珈琲会 [第十九回文学フリマ・小説|短編・掌編・ショートショート] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 つるつるした山吹色の表紙が目を引く短編集.表題作“リープ”のほか,“帰還”,“レティシアの椅子”の3作品を収録.
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 どの作品もたくらみを含んでいて読み終わると楽しいのだけど,なかでもいちばんは巻頭の“帰還”だろう.ドットで描かれたような表紙の文字,ピラミッド状に組まれた目次(NTTデータの昔のロゴみたいな感じ),そして冒頭で「金属の扉」のなかから,まるで地球に帰還したカプセル式宇宙船のなかからのようにして登場する「僕」,さらにはこの作品ぜんたいが回想として「夢中になって」書かれている手記であること,それを書きつけている赤と青とのノート(SF映画 *マトリックス レボリューションズ* には赤と青とのピルが出てくることで有名ですよね)という道具立てが,読者にまずはホラー・サイエンスフィクションとしての展開を予感させる.この予感は中盤まで読み進めていくうちに失われるのだけど,だからといって単なる思わせぶりに終わるものなどではない.それどころか,読者の期待が読み進むなかで薄れていくという読書体験そのものが,この作品の重要なトリックになっていると思われる.どういうことか.
 この読書体験は,出自に謎がある「僕」に対して,その出自の謎を繰り返すような形で次に現れる人物,「きぃちゃん」の描写とシンクロしている.「きぃちゃん」は,はじめは「僕」以上に浮き世離れして見える(=読者がホラー・サイエンスフィクションを期待している)のだが,「僕」がふと気づいたときには逆に現実のこの世界の重さを代表する(=読者がこれはホラー・サイエンスフィクションではないんじゃないかと疑いはじめる)存在になっているというように,読書体験の変化に呼応して異なる描かれかたをされているのだ.また,読者ではなく作中の「僕」が「きぃちゃん」の変貌に驚くのは,長い期間をともに過ごしているからこそなのだけど,読者がその驚きを追体験できるのは,作品の長さによって同じ期間を過ごしたように錯覚するからではない(作品じたいはけっして文字数が多いわけではない).ここにも,読書経験を利用したトリックがある.
 ふつうに考えると,ジャンルの期待が失われた時点で,読者は読むのをやめてしまってもいいはずだ(「なんだSFじゃないのか,やめよ」ってなってもおかしくない).しかし,読者はおそらくそう思わずに,別の期待のもとでこの作品を読みつづけることになるだろう.その別の期待を引き起こしているのは,ホラー・サイエンスフィクションとしての期待が薄れるのと差しかえるようにして,タイトル「帰還」の意味づけをいちど変えることだ.冒頭では,この地球への帰還のことを指すように思われたものが,「僕」と「きぃちゃん」との目標として,ここを離れてもといた場所へ帰還するという形に入れ替わる.また,他人からは必ずうちに戻ってくる優等生なのだと安心させているという意味で,作中の「僕」たちにも帰還の内実が複数あることが理解されている.こうやってだれがどこに「帰還」するのかについての新たな理解を読者に与えることで,「帰還」を中心とした新たな展開予想を立て直し,この作品に対していま持つべき期待は“次に提示される「帰還」の意味はなんだろう?”というものですよ,といちど指示を出しておく.これによって,読者は最初の期待が別の形に切り替わり,あとでもう一度もとの期待に「帰還」するという形の読書体験ができるようになっている.読者は途中で自分でもそれと気づかないままこの作品に飽き,そのうえで別のかたちでこの作品に引きつけられ,最後になってもう一度もとの期待を満たされる.
 作品の最後の箇所では,ここまで説明してきた「帰還」の意味づけ,サイエンスフィクションふうの理屈づけ,そしてもっと読者に対し間口が広いであろう「僕」と「きぃちゃん」との関係,これら3つがきれいに重なりあう.物語が,自分自身の長さ(どのシークエンスにどれくらいの文字数をかけ,どれくらいの伏線や展開をどこで入れるか)やジャンル(読者の期待)を自覚的に利用するように作られた,ひとり同人本(3作すべて中町日名子の作品)ならではの作品だ.
 ほか,固体から液体へと変化するアイスクリームのイメージと,空中に溶け出してくる他人の心内発話とを重ねた“リープ”,二人称現在を使うことで生まれる「きみ」の空所性を最後のトリック(○ープ)にうまく使った“レティシアの椅子”もよい.(「きみ」の空所性はふつうは読者を巻きこむのに使われるけど,ほかにもさまざまなひとを「きみ」に代入していいのだ,という事実が使われている.)