あなたのkugyoを埋葬する

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きょキャ1-1 われわれが殺したのか

虚構キャラクタに対する罪
第1節 虚構キャラクタに責任を負うべきか
第1項 われわれが殺したのか


 フィクションのなかに登場するキャラクタに対して、現実世界のわれわれが責任を負うべきだろうか、という問題について、いくつかの論点を考えてみる。まずは(1)「虚構世界で起きたことは、われわれの行動を原因とするのだろうか?」という点を考えてみよう。
 ミステリ作品のオチとして、ときどき「読者が犯人」であることが示される。代表的な手法の1つとしては、「読者が物語を読み進めなければ、殺人が起こることはなかった。これでは読者が殺したも同然だ」というものがあげられよう*1
 ところで、この手法は、読者になにか釈然としないものを残す。読者が読み進むか途中で読みやめるかにかかわらず、被害者が殺されることは決まっていたではないか。われわれは被害者の第一発見者ではあるかもしれないが、第一発見者であるからといって責任を問われることはない。または、ページをめくっただけでその虚構世界になにか劇的な変化(殺人)が起きたとでもいうのか。
 読者に上のような不満を述べられたら、テクストは次のように応答することができる。たしかに、ページに印字された文字が変化することはもはやないが、その文字列から読者が思い描いた虚構世界は、その文字列を読者が見なければ思い描かれることがなかった世界である。したがって、殺人が起こるような虚構世界を創造してしまった点で、読者には殺人の責任がある(犯人である)のだ。
 しかし、と、読者は再反論することができる。思い描くだけのことに虚構世界をまるごと作ってしまう力があるというのは、ページをめくることが虚構世界に変化をもたらす力を持つというのと同じぐらい信じがたい。あるいは、そのていどのことでできあがってしまうようなものを、そもそも"世界"などと呼んで、そのなかのことに責任を負わなくてはならないほど重大に扱うべきだろうか。
 それに、そもそも、虚構世界で被害者を殺したのは、あくまで虚構世界のなかにいる加害者であって、その責任はその加害者に帰せられるべきだろう。虚構的加害者は虚構的殺人を行ったため、虚構的道徳を犯し、虚構的な法律に則って虚構的に裁かれる。それでいいではないか。
 この読者の再反論は的を射ていよう。たしかに、われわれが虚構的被害者を「殺した」と考えるのは、むりがありそうだ。(1)「虚構世界で起きたことは、われわれの行動を原因とするのだろうか?」は、こうして否定的に答えられた。

*1:ミステリ論の慣例に従い、ネタを割っておいて具体的な作品を挙げることはしない。ただし以下の作品は、そうしたミステリ作品の最新の変種である:深水黎一郎, ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ ! (講談社ノベルス), 講談社, 2007.