きょキャ まとめ
結論を再掲すれば、虚構キャラクタに対しての罪は形而上的な罪であった。そしてその罪への自覚が、われわれをいっそう虚構を愛するようにし、またいっそう現実を愛するようにもするのだ。
ただし、上記の結論に反駁する方法はいくつかある。
- 第3項で見たように、すべての小説は1つの虚構世界を描いていると考えること。こうすれば、作品改変でその虚構世界のできごとを変更することが可能になる。ただし、この場合にはわれわれは日常的に大量の見殺しを行っていることになるだろう。
- 第4項で見た、ピーター・シンガーの議論に反駁すること。道徳概念の根拠として、たとえば「信頼」や「応答可能性」を持ち出すことができよう。ただし、それが虚構キャラクタに適用できないことを示すのはやっかいであると思われる。たとえばこの記事をも見よ。虚構キャラクタの人権 - kugyoを埋葬する
- 第4項で見た、「虚構的神経系」の問題。「(現実の)人間の神経系」により近いのは、「虚構的(人間の)神経系」ではなく「(現実の)動物の神経系」に近いのだ、ということを言えればよい。ただし、この場合、論点先取にならないようにする、つまり「虚構と現実とは違う」と前提しないで議論するのは相当に難しい。
- 第5項で見た、ヤスパースの罪の分類に反駁すること。ヤスパースの分類が網羅的なものである保証はない。また、行為者と審判者とによっての区分以外にも、罪の分類はできるかもしれない。
特に、罪の分類についてはもっと詳しい議論が望まれるが、私はそれを喜んでのちのひとのためにとっておく。
参考文献
(なお、『責罪論』は以下に改訳されている:カール・ヤスパース(著)、橋本文夫(訳)、『戦争の罪を問う (平凡社ライブラリー)』( 平凡社、1998))
- Nick Bostrom, "Are You Living In a Computer Simulation? ", Philosophical Quarterly, 2003, Vol. 53, No. 211, pp. 243-255.
- 三浦俊彦『ゼロからの論証』(青土社、2006)
- 三浦俊彦『可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える (NHKブックス)』(日本放送出版協会、1997)
- 飯田隆『ウィトゲンシュタイン―言語の限界 (現代思想の冒険者たち)』(講談社、1997)