あなたのkugyoを埋葬する

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「様相実在論」について

 よそさまのブログで専門でもない知識を書き散らすほど責任をとれないので、自分のブログで。


「様相実在論」を理解しているというわけでもないけど - finalventの日記
 哲学専攻でもない野蛮な理系の学部学生の知識ですが、様相実在論は、一般的には形而上学存在論)に分類されると思います。様相論理学をうまく構築するためには、可能世界なる概念を利用するのがよいというのは、かなり広く認定されていますが、この可能世界なるものの本性の捉え方については、いろいろ立場があります。その一つがデイヴィド・ルイスの様相実在論で、単なる論理学の便宜上の想定や言語的な虚構ではなしに、可能世界が現実世界同様の身分で実在する(と考えるのが合理的であることを示す)、という立場です。この実在する可能世界は、現実世界とは時間的にも空間的にも因果的にも隔絶している、と考えるのがふつうです。
 で、この立場は、たとえばフィクション研究ですとか、三浦のしているような宇宙論など、さまざまな分野に応用(場合によっては濫用)されているので、id:finalventさんの書かれているような確率への意味づけとして用いることもできると思います。私自身は確率の哲学を最近勉強しはじめたばかりなのでよくわかりません。
 というわけで、様相実在論が「直観に合致するし実り豊かだし整合性がある」と述べたのは、前二者については上記のような応用をした上でのことです。さいごの論理的整合性については、三浦俊彦による様相実在論の棄却(三浦俊彦, 2007, 『多宇宙と輪廻転生』(青土社)pp.343-344.)が妥当でなかったことと、可能世界という概念の意味づけとして様相実在論がもっとも論理的整合性にすぐれていると考えていることとによります。
 三浦の議論については、下記エントリで論じました(お見苦しいエントリですが)。
様相実在論者・俺、参上! - kugyoを埋葬する
心の科学基礎論研究会に行ってきた - kugyoを埋葬する
 なお、上記のような私の可能世界への理解は、三浦の著作から得ています。『可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える (NHKブックス)』など。

 三浦の議論をよくフォローできたわけではないけど、実態としての人類の倫理は、実際のところ輪廻転生の信念に依拠しているというのは確かなのでは。
「様相実在論」を理解しているというわけでもないけど - finalventの日記

という点については、いままでは人類の倫理が輪廻転生観に基づいてきた、というのはかなりありそうだと思います。しかし、輪廻転生観が受け入れられる(そしてそのための論理的を用意すべき)時代は終わりつつあり、代わって(たまたま論理的により整合性のある)様相実在論のほうが、時代の共通理解に合致したものとして選ばれるようになってきたのではないか、と考えます。そのことを示すのは難しいですが、(ランダムに選んだものではないので)悪いサンプルについて話すとすれば、少なくとも最近の日本の若者である私には、輪廻転生観を倫理的には擁護する動機がありません。三浦の言うような輪廻転生観をとるのが合理的だと論証されれば、それを受け入れる用意はあります。


 とまれ、前回のエントリで気になっていた「大森荘蔵道元的な観点」とのからみなど、見通しがついてためになりました。