文学とは何か
文学至上主義ねえ……じゃあ、文学ってなんなのさ?
http://d.hatena.ne.jp/natume_yo/20080706/1215324139
夏目陽さんへ、第1信 - 雲上四季〜謎ときどきボドゲ〜
http://d.hatena.ne.jp/inhero/20080708/1215529907
いまこそ文学の哲学が望まれている気がする! しかし、Difinition of Literatureの章はそれほど興味ないんだよなー。いちおう、一パラグラフだけ訳出してみる。あまり自信がない場所は原語を併記したので、多少読みづらいかもしれません。ごめんなさい。
(The Philosophy of Literature: Contemporary and Classic Readings - An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies), PART II:Definition of LiteratureのIntroductionより)
この部の最後の3つの章では、妥当plausibleだが両立不可能な文学の定義が提出されている。Monroe Beardsleyは、文学を文学作品の意味論的特徴によって定義する:何かが文学作品であるのは、その創作が言語の擬装使用imitative use of languageを必然的に含むとき、そしてそのときのみである。いっぽう、多くの人工物がその使途によって定義されているからには、文学を文学的読みの実践によって定義するやりかたもある。この定義のしかたは、文学の定義から読みの実践の定義へと問題を移動させているわけだから、こう考えた場合の課題は、文学を読むという実践を構成している、期待とか共感とか評価とか推論のパターンとかを分析することにある。反応のこうした要素は、規範的であることもそうでないこともあるだろう。Peter Lamarque and Stein Haugom Olsenは、文学的実践は必然的に審美的であり、したがって規範的であると論じる。文学を文学として読むことは、つねにそれを評価することだというわけだ。これに対してRobert Steckerは、この強い芸術至上主義には懐疑的であり、文学的実践を定義するような読者の反応の種類というのは、審美的要素とそうでない要素とをふくむと論じている。Steckerにとっては、文学に関わる方法literary modes of engagementというのは評価的である必要はなく、たとえば感情的であったってよいのである。
(p.44)
まとめると、
- Beardsley:言語の擬装使用説*1
- Lamarque&Olsen:審美的に読まれるものが文学
- Stecker:いろいろあるよ。
まだ各人の論文を読んだわけではないのですけど。
*1:サールのテリトリー!