あなたのkugyoを埋葬する

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『存在と時間』5章28-29節

 このレジュメは、Martin Heidegger: Sein und Zeit(1927)への読書会のためのレジュメである。今回の読書会にあたって主に参照している訳書は、

である。以下では単に『存在と時間』と記す。
 また、難解な箇所の読解の助けとして、下記のコメンタリーを適宜参照した。

下記では、著者名をとり、順に「門脇本」「グレーシュ本」「ゲルヴェン本」「ドレイファス本」と表記した箇所がある。どうしてどの本もタイトルに2重かぎかっこを入れるのか。

第5章 内=存在そのもの

第28節 内=存在を主題的に分析する課題

現存在はおのれの開示態を存在する。

  • おのれの「現」を存在する。
  • 現存在を現存在たらしめている、根源的な世界へのかかわり方が「開示性」(門脇本p.115)

そこで、「現」ってなに? という課題が登場する。

  • 現の存在の解明(内=存在そのものの解明)を担当するのがこの第5章。
    • (世界=内=存在、については第4章でやったはずですね)

A 現の実存論的構成
現存在にとって、現とはどういうものか。

  • 1. 心境としての現=存在(第29節)
  • 2. 心境のひとつの様態としての怖れ(第30節)
  • 3. 了解としての現=存在(第31節)
  • 4. 了解と解意(第32節)
  • 5. 解意の派生的様態としての言明(第33節)
  • 6. 現=存在、話、言語(第34節)
    • (この「話」は、「ハナシ」と読んでいいみたい)

この章のハイデガーの議論を別の分け方で見れば(門脇本p.115)

  • 1. 人間の受動的側面を表す「心境」
  • 2. 人間の能動的側面を表す「了解」

B 現の日常的存在と現存在の頽落
(現=存在の存在性格の分析は実存論的分析なので、現存在の日常性におけるありさまを取りだす必要があります)

  • 1. 世間話(第35節)
  • 2. 好奇心(第36節)
  • 3. 曖昧さ(第37節)
  • 4. 頽落(第38節)
第29節 心境としての現=存在

心境(情状性Befindlichkeit)の本質性格その1(心境は、被投性を開示する)

  • ある人が、あることについてある気分になるとき、その由来についてはあまり考えない。
    • 由来…e.g. 「女性らしく生きること」を引き受けるような拘束力を持つ文化のうちで育てられた(門脇本p.119)
    • 事実性(現事実、Faktizitat)
  • この気分によって開示されるのは、自らの可能性が「とにかく(このようで)ある」ということ
    • ここで開示されたのが、被投性(Geworfenheit)
    • ほかのようでもありえたのに、そうではなくこのようでしかない…不可能性ともいえる
      • このことが本人にも認識されるとは限らない(p.293)
  • この事実性(自らの可能性と状況とのつながり)は必然的なものではない
    • ある客体的なもののなまの事実の、「事実性」ではない(p.295)とはこういうこと。
      • したがって直観から導出されるような必然的な帰結ではない。
  • 自らの被投性を直視すると、気分は消えてしまう
    • ちゃんと由来があったじゃん! ほかのようでもありえたじゃん! と気づける
      • これは気分を経由しなければ気づけないこと
      • 知識や意志による、合理的な推理や事実の理論的な把握だけでは気づけない(pp.296-297, 門脇本p.121)
    • 気づけば、由来を改めて選び取ることも、別のありようを選びなおすこともできる
  • 逆に、自分の被投性を直視しないうちは、ふさぎ(Verstimmung)が現存在を襲ってくる
    • 自分に課されたもの(由来)のせいで、ほかのようでもありえたのにそうでなくある、なんちゅうこと……。
  • そして現存在は、恐れの気分にあるとき、(ほんとうは)被投された非力さのゆえに恐れ、開示されているのだが、
  • その非力さにではなく、脅かしてくる対象に注目し集中する。
    • 「回避的背理」(p.297)とはこの、回避しつつ、(被投されたことには)頓着しない、というしかたのこと。
      • 脅かしてくる対象、については心境の本質性格その3で。
      • 恐れ(怖れ)については第30節で。

心境の本質性格その2(心境は、世界内存在の全体を開示する)

  • 感情が開示し、認知させるものは、自己と、世界内の存在者とである(門脇本p.124)
    • 世界内に存在するのはこれで全部だね。
  • 主観の内面における心的な出来事ではなく、世界内存在を開示しているよ。
    • ところで、感情が自己を開示するというのは被投性(由来)を開示するからいいけど、
    • 世界内の存在者を開示するってどういうこと? いつ議論したっけ?
      • それは、心境の本質性格その3で議論するのです。
        • 門脇本の解説はその3を先に議論してからその2へ進む親切な構成です。

心境の本質性格その3(心境は、影響を及ぼす存在者を開示する)

  • 気分は襲ってくるもの
  • 世界は、初めから、驚かすものという位相のもとで認知される(門脇本p.122)
    • 感情と無関係な外界についての認知が起こり、それが自己の内面で主観的な述語に彩られる、のではない
      • 道具の現れかたといっしょだね。
  • 心境があるから、物騒なものという形で世界(e.g. 核施設の事故)を認知することができる。
    • 事故の確率を予測する機械は、事故を恐れてはいないよね、という議論。
    • 純粋な直観も、つまり、合理的な推理も、機械と同じ。(pp.299-300を見よ)
    • 用具に迫られる(襲われる)という形で内=存在が規定されているから、用具が物騒だ、ということで打たれる
    • 用具の議論にもつながっていたのですね。

・さて、ハイデガーの論述はなにを目的とし、どんな方法をとっていたんだっけ?(この節のまとめ, ゲルヴェン本p.179-)

  • 1. 現存在が世界における自己自身に気づくときには、現実のもつ変更可能性に影響されて気づくのだ、と示すため。。
    • これが心境を現存在の実存論的カテゴリーとして分析することの目的の1つ
  • 2. 心境は、ただの感情ではない。
    • 心理学的記述ではだめ
      • 平静な人間存在の瞬間(「感情を排した」冷静な探究)でさえ、心境は重要な要素
  • 3. 現存在の実存が、可能性と現実性とに気づくのは、いかにしてか、という説明をする。
    • 現実性も可能性も共に現存在にとって重要なのでしたね。
    • 現存在が現実的(可能的でない)実存に気づくのは心境によってだ、という説明がされました
      • 可能的実存に気づくのは了解によってだそうです、第31節以降で!
    • すると重要なのは、心境は本来的実存にも認められる存在様態であるということ
      • 非本来的実存だけが感情にまどわされている、のような理解はまちがい。
  • 4. 心境とは、現存在に関わりのある世界、の基盤である。
    • 心境の本質性格その3でやりましたね。