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カ29 空際,*兼ネル*(¥1,200)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で22日め(時間操作ずみ).
私が文学フリマで買った本のリストはこちらです: 購入全誌感想(29評/30購入) - kugyoを埋葬する

カ29 空際,*兼ネル*(¥1,200)

黒死館附属幻稚園 [第十九回文学フリマ・評論|ファンタジー・幻想文学・怪奇文学] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

漫画、小説、短歌、評論、レビューなどを集めた,「性別越境アンソロジー」.参加人数もとても多くて楽しめる.
 性別越境フィクションの場合,こういうことがありがちである——すなわち,なぜこの人物は性別越境という異様なことを達成してよいことになっているのですか? という問いが立てられ,それに対して,この人物は性別越境的に美しいから・繊細だからです,という答えが返ってくる.私がこの問い・答えに不満なのは,性別越境は観念的に困難・異様なのではなく現在の偶然的な社会状況に即して困難なのであって,その困難さを描くのは難しいし,その種類の困難さを乗り越えられるのは美しさや繊細さなどではなくタフさや境遇でしかない,と考えるからだ.耽美は性別越境にそぐわないのではないか(現実に対してモラルを欠いていないか)と私は思う.その点から見てすばらしいのは,merangree,“母の脂”で,性別越境を試みる弟の「すばる」をケアする,母子家庭に育った「私」の視点から,化粧の魔術的なとさえ言える効力や,弟が被る暴力などをうまい距離を持って描いている.
 このうまい距離というのが重要で,小説の最初のページを開く瞬間において私たちは,読みはじめたときには赤の他人でありほとんど興味の持てないはずの人物の行動を,現実にはありえないほど丹念に押しつけられることになる.もちろんその押しつけ自体にパワーがあったり,たまたま読むひとの境遇にぴったりはまっていたりすれば,それは心地よい強制奉仕となるのだけど,そうでない場合には,小説じたいが問題の人物と距離をとって,読みはじめたときの物語の読み手との距離に根拠を与えてやらなければならないのではないか.
 ほか,おがわさとし,“倒錯ロミオ”が,高校の制服がセーラ服:男性,詰め襟:女性というふうに入れ替わっている世界(おそらく性役割の一部,まなざす側も入れ替わっている世界.p. 128)での,文化祭で「ロミオとジュリエット」の翻案演劇をやる,というのを描いていて非常におもしろい.作中劇の翻案のしかたじたいにもアイデアがあって,ロミオは女性が,ジュリエットは男性が演じるというふうに入れ替えて翻案してある.マンガのなかに出てくる劇の設定がそれ自体でひねってあるというのはなかなか見かけないので,これはもっと長く読みたい作品.

キ18 早稲田大学現代文学会,*Libreri 22*(¥500)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で21日め(時間操作ずみ).
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キ18 早稲田大学現代文学会,*Libreri 22*(¥500)

早稲田大学現代文学会 [第十九回文学フリマ・評論|文芸批評] - 文学フリマWebカタログ+エントリー


 特集というかテーマが,メルヴィルの*代書人バートルビー*(1853)の"I would not prefer to."で,収録されている論考のところどころに「できればしないほうがいいのですが」が見える.ただ,自分の無能や努力不足の言いわけとしてこのセリフを使いつつ何かする,というのはおかしくて,話の進行の必然として何もしないままどんづまりに入っていく,その呼び水としての「できればしないほうがいいのですが」だと思うので,ちょっとどうかと思う使いかたも散見された.
 Masando Sato and T. S, "No Future ——Why is thre no future rather than nothing?"は,書簡インタヴューの形をとってクィアスタディーズやクィア理論がたどってきた経緯をまとめており,勉強になった.ベルサーニやエーデルマンといった研究者が称揚するクィアの「否定性」「反社会性」に異を唱えるハルバーシュタム(Halberstam, The Anti-Social Turn in Queer Studies,2009)のような整理を学会やフォーラムの開催に即してまとめる流れはみごと.ド・ローレティスが,自分の言う「クィア・セオリー」と団体名Queer Nationとが「何の関係もない」と述べているところは,今年度のクィア理論入門講座でも話題になりました.
 ほか,左翼のフォークソング集会のもようをつづったBannnai Tatara, "La musique savante manque a notre désir"は,即興演奏していた連中がメインステージに突撃するあたりの「牧野」との応酬が読んでいておもしろいし(しかしこの著者は何歳なのだろう?),FPS経験をつづった1人称小説のTomofumi Yuya, "Kill, Death, Assist"は,逆にセリフを極力排したつくりが上品.考えてみれば,私たちはFPSゲームのプレイ中は,声に出してはしゃべらないのだ(せいぜいチャットするだけ).
 あと,私の買った版ではどうやら製本後に削除されたページがあるらしく(p. 56からうしろが強引に切り取られたようになっていて,奥付の著者一覧にも黒塗りがある),事情を邪推してしまうが,あるいはこれも仕掛けなのかもしれない.

イ73 blacksheep 2D,*ここがソノラマなら、きみはコバルト*(¥1,500)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で20日め(時間操作ずみ).
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イ73 blacksheep 2D,ここがソノラマなら、きみはコバルト(¥1,500)

blacksheep 2D [第十九回文学フリマ・小説|SF] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 西島大介による,羊の角らしきものが生えた少女のイラストと,なんとカセットテープ付きというとんでもない販売形態とが目を引く同人本.カセットテープには,私の大好きな田中啓文の作曲作品が収録されているぞ!
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 吉田隆一,“羊子ちゃんの未来史”はとてもおもしろい.人類が滅亡し,羊が羊人間と化した未来に,「羊子」が草原で本を読んでいるという牧歌的なシーンからはじまって,羊人間がショットガンを構えてジープで突進するという表紙のようなシーンへと進んでいく,そのSF設定が秀逸なので,ここでぜひ紹介したい.
 ふつう人類滅亡といったら,人類は滅亡したか,滅亡の縁に瀕しているかのどちらかだ.そして滅亡というのは,人類個体がみんな死んでいなくなってしまうことを意味する.ところがこの作品では,人類が滅亡したかどうかは,じつはあいまいなのだ.それは作品を読む私たちにとってぼかされているということではない.作中の人類たちにとってすら,人類が滅亡しているかどうかがあいまいなのである.どういうことか.p. 27から引用しよう.

 羊兵士が非公式に戦場に投入され始め数年後、例の「行方不明」事件が発生する。我々人類が世界規模で「行方不明」になりはじめたんだ。

なんと,人類は互いに互いを認識できなくなり,「『行方不明』」と見なすようになってしまったのだ! 客観的には人類はみんなそのへんをうろうろしているのかもしれないのだが,個々人(小グループ)の認識の上では,ほかの人類はもういなくなってしまっている.こんなことになってしまった原因のほうにも,「羊兵士」に組み込まれた意識共有のためのナノマシンが人間に感染してしまい,暴走を起こした,という秀逸な説明がついている.
 したがって物語は,人類滅亡後の羊人間たちの動向を主軸としつつも,生き残った(?)人間,そして人間が残した「ターミネーター」ふうのロボット兵器,などがからんでくることになり,そしてそのせいで一気に血なまぐさくなってくる.この同人本収録部分だけだといいところで終わってしまっているが,まだまだ「羊子」と妹の「∞羊子」(角が∞の形をしている)との旅のつづきを読みたいものだ.
 ほか,水見稜,“黒羊号の上昇と下降——そして異星で遭遇した音の群れ”も,宇宙船SFと現実の作曲風景とのイメージを重ねて幻惑的.
 あと,本とカセットテープとをまとめている帯があるのだけど,この帯には開いたところにライナーノーツが書いてあるので,捨てちゃだめですよ!

カ65 ヱクリヲ,ヱクリヲ vol.1(¥500)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で18日め(時間操作ずみ).
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カ65 ヱクリヲ,ヱクリヲ vol.1(¥500)

スピラレ/ヱクリヲ [第十九回文学フリマ・評論|その他] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 レオスカラックス特集ということで,フランスの映画監督レオス・カラックスの盟友・堀越謙三へのインタビューや,カラックス自身の手による映画評の翻訳があり,価値の高い本.
 カラックス作品は,*TOKYO* (2008)というオムニバスに収録されている短編しか見たことがなかったのだけど,カラックスを映画史上に位置づけるうえで参照される「ヌーヴェル・ヴァーグ」について論じた,山下覚,“ヌーヴェル・ヴァーグとカラックス ——あるいは「六○年代」と「九○年代」の距離”は非常に勉強になった.カラックスとゴダールとの類似項としてよく「ボーイ・ミーツ・ガール」という類型が取りざたされるけれども,カラックスの最初の作品が *ボーイ・ミーツ・ガール*(1983)というタイトルを持っていることからしても,この類型にカラックスが自覚的であることは,批評家の言を待つまでもなく明らかだ.山下論考では,むしろ,「ボーイ・ミーツ・ガール」の不成立や,もっと具体的な映像・演出の面に着目すべきなのでは,と主張し,楽曲演出の使いかたについて言語化してくれる.楽曲演出というものは,映画を見ているあいだはまずその存在じたいになかなか気づけないものだし,気づいたとしてもうまく言語化して記憶し,作品の外に持ち出して比較する,というのが難しいものなので,こういう作業はありがたいものだ.
 特集の組版デザインは,それ自体で映画のパンフレットを思わせる質の高いものなのだけど,その反動か,特集外の論考のほうはかなり読みづらかった(縦中横とかの基本的なレベルで壊れている).映像作品を扱った論考が多く,*Free!* (2013), *交響詩篇エウレカセブン* (2005),*けいおん!*(2009)など,扱っている作品は魅力的なのだけど,批評に際して統一的な視点を提示できておらず,あるときは映像に虫眼鏡的に着目したり,あるときは地理学者エドワード・レルフの言い分を引いてみたりしていて,場当たり的な感じが否めない.とはいえ,そうした習作のようなものが読めるというのは,それはそれで同人本を読む楽しみでもある.たとえば,メフィスト賞で寸評だけに終わって世に出ない作品を見かけて,期待をあおられたのにそれが読めないということがたまらなくくやしいってことあるじゃないですか.そういうのが手元で読めるというのはよろこび.

A18 カオスカオスブックス,青の思案(¥800)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で17日め(時間操作ずみ).
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A18 カオスカオスブックス,青の思案(¥800)

カオスカオスブックス [第十九回文学フリマ・小説|純文学] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 ポストモダン文学めいたさまざまな文章が収録された同人本.装丁がなかまで含めて非常に凝っており楽しい.

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 全体的に,小説家志望者の自己憐憫を扱った文章が多く,それを小説でやるのは厳しいなあ……と思ったのだけど,文章じたいの水準がなかなか高くて,pp. 18-20の語りはものすごく好き.たぶんこう,ひとが何らかの強い思い込みのもとでしゃべっているところを,その思い込みを自明視しながら語り手が描写していて,その描写につきあっているとそれが少しずつこっちにもわかってくる,みたいな文章が,私は好きなんだと思う.

 出版業界の未来を考えたことはあるか——と男は言った——もうズブズブさ、どこもかしこも汚濁にまみれちまって機能不全なんだよ、癌なんだ、あんなものは切り捨てるべきなんだ! 世の中おかしいじゃないか、お偉方の未来なんて、俺にとっちゃ一ミリの価値もない、俺のような社会的弱者をもっと認めてゆくべきなんだよ、そうは思わないかね?
(後略)

言ってることはクズみたいなことなんだけど,この語り,同じことをくだくだ語るこの語りって、もちろんこんなふうに私たちがしゃべることなんてめったにないんだけど,必要最低限のことだけしゃべらせてそれでコミュニケーションやディスコミュニケーションを描いたことにしてしまうたいていの小説と比べれば,私の実感としてははるかにいきいきとして見えるのだ.


通販もしているそうなので,よろしければぜひ.

キ13 非科学現象研究会,ひかがくのるつぼ Vol.3(¥100)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事は12日め(時間操作ずみ).
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キ13 非科学現象研究会,ひかがくのるつぼ Vol.3(¥100)

非科学現象研究会 [第十九回文学フリマ・評論|文化研究] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

収録記事の“聖典これくしょん 〜聖これ〜”に目をひかれてお分けいただいた.旧約聖書からおふでさきまで,さまざまな宗教の聖典を紹介したもの.長さ・成立年代だけでなく,写真まで載せてくれるのがうれしい.
 “『法の書』における〈法〉がなぜドラッグとセックスを誘発するか”は宗教団体(東方聖堂騎士団)の「秘技」がなんでドラッグとかセックスとかになったのかを説明してくれたものらしいのだが難しくて全体の主張がよくわからなかった.
 “タバコの呪術性と神秘性”は,七世紀ごろという比較的新しい時期に誕生した喫煙文化が,呪術においてどんなふうに用いられたかをまとめていておもしろい.神々じたいもタバコを好むとされるし,場を清めたり薬のようにしたりトランス状態になるために使ったり,パイプの回しのみで意志決定を行ったりといったことも行われていたそうだ.線香なども含め,なぜタバコにそのような役割が担わされたたか,著者も考察しているとおり煙は重要な特徴だと思うけど,どっちかというと火のほうが重視されていたのではないかという気もする.むかしはこの世って暗かったから.

ウ12 少女サナトリウム,METEOR EP(¥700)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で24日め.
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ウ12 少女サナトリウム,*METEOR EP*(¥700)

少女サナトリウム [第十九回文学フリマ・小説|ライトノベル] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 “青空さんのメテオ”,“天使二号”,“無限軌道の夜”の3編を収録した,木野誠太郎の短編集.カバーのついたしっかりした装丁と,3編それぞれを予告する巻頭イラストなど,買うだけでも満足できそうなつくり.こういうタイプの同人本が文学フリマに出てきた当初はけっこう驚いたものだけど,最近はまた少し珍しくなってきた気がする.
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 物語はそれぞれ独立しているのだけど,作品集のタイトルである「METEOR EP」が示唆するように,どの作品にも「メテオ・イーター」もしくは「調律者」と呼ばれる,三位一体のカマイタチみたいな超越存在の影がさしている.この「メテオ・イーター」は,星の害を調律して組み立て直すとされる存在で——1体が隕石を食らい,2体めがそれをエネルギーに変え,3体めが食らった星と新たに生まれた星とを調律する——,この存在があることで,すべての物語に崩壊の足音が忍び寄ることになる.
 “青空さんのメテオ”は,マンガに登場する「メテオ・イーター」によるこの世界のぶっこわしを夢見る,現実遊離ぎみな高校生ふたりのおはなし.筋立てとしてはまあ男の子向けで,はじめは自分のなすことを信じられず無為だなんだとぶつくさ言っていた語り手「尾崎」が,学校の屋上で空想癖のある女子に出会い,そいつへのいじめの予感とかをあんまり深入りせずに見逃しているうちに,ちょっとしたことで高校生活が楽しくなり,でも最初の女子をいじめから——現実のつらさから助けたい,という気持ちでちょっとがんばってうまいことやった,という流れなのだが,p. 80までこの流れですらすらと進んできたこの物語に,ひとによっては蛇足にすら見えかねないp. 82以降が加わっていることで,物語がぐんと引き締まっている.

「尾崎先輩! やりましたね〜」
「おーい、尾崎? 告白はうまくいった?」
(中略)
 人生のうちで白線を引くことはもう二度とないだろうけど、下手は下手だったなりに、無為ではなかった。野球をやっていたことは今に活きているんじゃないかなんて、そんなことを思った。

これがp. 80のシメで,ここで終わってもよさそうなものだが,西ノ田による1ページのイラストを挟んで,物語はまだつづく.p. 82からは,けっきょく「尾崎」と件の女子との物語は交わらなかったこと,ふたりは「メテオ・イーター」がかつて示唆していた「別の世界」を生きることになったことが描かれる(まあ同じ学校のなかなんだけどね).「尾崎」が描いて見せた一夜の夢はそれきりで消えるのがすがすがしくて,そこにたどりつくまでにちょっと気になっていた甘さを取り除いてくれた.
 同人サイトにて全文公開中だけど,pp. 24-25のちょっとした仕掛けがきれいなので,本で読むことをおすすめします.
 “天使二号”は,「調律者」が実在の脅威となって危機に瀕している世界で戦う女子高校生の話.これは文章も硬いし,挿話やキャラクタの造形もかなり物語に奉仕するだけになっていて正直言えば読みづらいのだけど,この本全体のなかでは,破滅の前・最中・そして破滅の後ということで,バランスをとって次の“無限軌道の夜”につなげるだいじな役割を果たしている.欲を言えば,LaCiによるイラストのイメージ喚起力が強いので,それに負けないぐらいの書きこみがほしかった.
 “無限軌道の夜”は,話じたいがかなりファンタジーものに寄っているためか,語り手が前2作品よりやや幼いように見えるにもかかわらず,重ための文体に違和感がない.「無限軌道」と呼ばれる世界規模の環状鉄道に乗って,叔父のもとへと亡命する語り手「ニーナ・ヤマガタ」の語りは,序盤のあたりなど旅人の情緒不安定なところをうまく描いていて共感する.「永久凍土の国」の描写や,「ニーナ」の出身国が破滅してしまったようす(これに「調律者」がからんでいる)が断片的に描かれるところもうまいと思う.プロットにもいくつかのアイデアが盛り込んであって,それがちゃんとこの作品の世界像のなかで活きている.
 各短編だけ見ると不満もあるのだけど,3つ合わせると全体として美しい構成になっていて,最後まで読んでオオッと思った.もし次の作品があるなら,ぜいたくなことをねだるようだけど,「メテオ・イーター」のイメージを同様に保って,ぜんぜん違うタイプの破滅前・破滅中・破滅後の話を読みたい.それだけのアイデアがあるという感じがした.おすすめ.

カ60 左隣のラスプーチン(委託),別冊BOLLARD TUNNEL(¥700)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で19日め.17日めと18日めとはベントされた! いつ戻る? 戻らない!
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カ60 左隣のラスプーチン(委託),*別冊BOLLARD TUNNEL*(¥700)

左隣のラスプーチン [第十九回文学フリマ・評論|文芸批評] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 〈iaku〉という団体の横山拓也さんという劇作家のかたを特集していて,戯曲を2本とロングインタビュー,それからそれを演じた役者のインタビュー,それに先輩劇作家のコメントも載った本.
「TUNNEL」カトリ企画@第二回文学フリマ大阪 - 文学フリマWebカタログ+エントリー
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 戯曲「人の気も知らないで」「流れんな」はどちらも一幕もので,複数の人物(ほぼ全員が出ずっぱり)の会話のなかでの対立を描いている.対立というか,登場しない人物の病状に関連するいろいろなトラブルについて,それぞれに違った考えを持っていて,またそれぞれが互いのことをどういう人物だと思っているかについてもズレがあって,そのズレが表面化して,たくさんしゃべることでちょっと変わる,という話.
 “人の気も知らないで”の役者は三人なのだけど,上記のようなことをやるためには,登場人物「綾」「長田」「心」(みなタウン誌を発行する会社の社員)の造形をするだけでなく,その三人が残りの2人をどういう人物だと思っているかについても造形する必要があって,これはむちゃくちゃたいへんな作業だ(合計で9人作る必要がある).人間どうしの関係は現実にはたしかにそういうものなのだけど,ふつうの作品ってえてしてそこらへんを飛ばしてしまって,読者に見える像が作中でも同様に見えている,もしくは読者には見えていない像は作中でもだれにも見えていない——いわゆる叙述トリックが作中人物に対してもトリックとして機能する場合——のようにしてしまう.まああとは狭い恋愛関係のような通りのいい矢印を使った人物相関図に全員を収めてしまうという手が使われることもあるよね.こういうことができる背景には,もちろん役者が実在して,その役者じしんの意見もあって,という制作手順のブーストもあるのだろうけど(そうやって作っているのだとインタビューにもあった),それぞれの人物がどういうきっかけで相手をどう見るようになったかをひとつずつ考え,しかもそれがひとつの作品としてまとまって見えるように配置する,というのはほんとうに難しい.書き割りでないリアルな人物造形というのは,人生経験がどうとかではなくて,こういう配慮,ある意味で計算できる配慮から生まれることだと私は思う.
 そして,劇評などでも言われているとおり,それらの人物が互いをどう見ているかをその場で開示していく流れがしっかりしていて,ある種の告白が行われるごとにそれまでの人物像が読者のなかでも変わるようになっている.会話劇なので,この告白もひとり語りの形ではなく,その場の人物(話題にされるひと,話題から遠ざけられるひと両方)による混ぜっ返しが入るのだけど,そういう混ぜっ返しが大好きな私がいちばん気に入ったのが,心によるこれ(p. 30).

心 え、私頭悪いですか? 本当に分かんないんですけど。

多くの場合,物語のなかで登場人物が分からないと発言したら,それは以下のような状況だ:

  • その人物は読者よりもにぶい.読者に対する答え合わせのために,つまり物語の都合で,分からないと発言して説明をうながす役割を担わされている.
  • その人物は単に納得がいっていないだけなのだが,拒絶の意志として分からないと発言している.読者もそういう心情を承知している.
  • 状況はその人物にとっても読者にとっても異常である.

しかしこの場合,読者は「綾」が直前で「オサダは、もうちょっとだけ筋通ってんねん」と言っているその内実に見当がつかないし,「心」はどう見ても本心から分からないと言っているのだし,そしてそのあとを読めばすぐわかるように,状況は決して異常ではない——会話のなかでほかの人物だけが察し合っていて自分だけ置いていかれるように感じるのは,現実にもよくあることだ(そしてその疑問を会話の流れのために保留してしまうことも).そして,読者は「心」がほんとうに話に置いていかれたのかどうか(自分が何か読み逃しているだけなのではないか)について確信が持てなくなっている.つまり,物語の要請で「心」が解説役の補佐としての役割におとしめられているのではなくて,いま「心」が物語にどういう役割を要請されているのか,そして読者はいまどういう情報を持っているはずなのか,一瞬だが迷いが生じるようになっているのだ.だからこそ,「え、私頭悪いですか?」が読者につよく響く.それは読者がいつも保留してしまう小さな疑問に対する抵抗なのだ.

 次の“流れんな”では人物は「睦美」「司」「駒田」「サツキ」「翔」の5人に増え,さすがに20人ぶんの人物像をつくりあげるのは困難だったのか,前述したような恋愛関係という分かりやすい人間関係の矢印の導入や,唐突に影が薄くなる「翔」などやや違和感もあるのだが,同様に人物どうしが互いに互いをどういう人物だと考えているかを言い合い・言わせ合う.p. 92の「司 無理無理。最後まで言いや。」などが代表的だが,ここでは5人は最後には思いの丈を最後まで言ってしまう.個人的には,こちらの作品にあるような思いの丈のぶつけあいを,特に出生前診断についてときに蒸し返すような形で交わされる「睦美」「サツキ」「翔」の会話を胸がつぶれるような思いで読んだのだけど,このすばらしい作品にひとつだけ不満があるとしたら,それは5人が思いの丈を最後まで言えてしまうという,そのことだろう.
 およそ演劇というものには役者がいて,役者は途中で舞台から出ていってしまったりしないから,人物どうしの会話がはじまったら,たとえ多少の不満がそこで表明されようとも,人物は逆上して会話を離れて二度と帰ってこないということはなく,困難を切り抜ける形で会話は最後まで遂行される.この“流れんな”でもp. 99で忘れものとして置いていかれる「駒田」のカバンがあからさまに示しているように,オチがつくまでには役者は——人物は戻ってきて,ちゃんと話の終わりに参与するのだ.
 でも現実はそうではない.会話の途中でひとはほとんど会話と無関係な理由で退場するし,不満があれば疑問を残したままでも話題を打ち切るし,そういう話題はその場ではなかなか復活することはない.私たちは舞台のうえに集められた役者ではないから,公演時間いっぱいまで会話をつづける理由も,舞台のうえに立っている理由もとくにない.会話がうまく噛み合うことじたいがめったにないし,そもそも発言が組み立ってひとつの会話になることも珍しい.無視される発言も多い,それは茶化しがスルーされるというだけでなく,ドラマを含んでいそうな重大な発言だってそうで,その理由はたとえば声がかすれてしまってよく聞こえなかったとか留保が多すぎて数秒以内に意味がとれなかったとかだったりもする.陳腐な言いかたを含むけど,だからこそ,相手がどういう文を使って発話するかというクセをある程度知った関係こそが,会話を楽しむうえでだいじなのだろう.
 もちろん,なかなか噛み合わないものが噛み合った瞬間を切り取った美しい構築物こそが戯曲なのだろうし,その美しさが見たくて私たちは劇場に足を運ぶ.でも,物語のうえでどれだけ対立しても舞台のうえにいてその場を共有していることには違いない戯曲の人物たちを見ると,ちょっとだけ,うらやましい世界で生きているな,と,役者と人物との区別を一瞬揺らがせて思ってしまうのだ.

エ59 未遂のスパンコール,旅をしませんか(¥300)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で16日め.
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エ59 未遂のスパンコール,*旅をしませんか*(¥300)

未遂のスパンコール [第十九回文学フリマ・ノンフィクション|雑誌] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 前回の「しゅんでます。」未遂のスパンコール@第十九回文学フリマ - 文学フリマWebカタログ+エントリーがおもしろかったので(私の感想はこちら,なんかアキバブログにリンクいただいてて照れます照れます)手に取った本.
 これは旅行記なのだけど,旅行のための旅行ではなくて,副題のとおりジャニーズのコンサートに行くときに立ち寄ったところの話がメイン.で,ジャニーズのコンサートのレポにたっぷりページが割かれているのかと思って読むわけですが,さにあらず,なんとほんとうにコンサートの前後の旅程・観光のことだけ書いてある! 私よく知らずに読みはじめて,「まさかそんな……?」と思いながらオタクらしい一気呵成に読める口調にのっけられて最後までいったのですが,びっくりすること間違いなしです.
 もちろん,そこはジャニオタを名乗るだけあり,観光といっても聖地めぐりだったりショップ行きだったりを含むわけですが,ふだんちゃんとながめたことのないたとえば原宿の町並みとか通天閣近くの串カツ屋とかが,ジャニオタさんの視点ではこんなふうに輝いて見えるんだ……! と,ちょっと感動してしまう旅行記になっています.私事ですが最近はなやみごとも多く,どこを歩くにしても通路をかさかさと抜けるような上の空での歩きかたになってしまっているのですが,そうだよねえいろんなところに想像の種があって,そういう場所で同好の士とさんざんしゃべれるというのはほんとうにすてきなことですねえ.裏表紙が星屑をまきながら去っていくキャリーケースなのだけど,歩いたところに星が宿るわけですよ.集いし星が,新たな担当を呼び起こす! 光差す道となれ!
 コンサート参戦記がどうしても欲しいというかた向けには,サンリオピューロランドでのミュージカルの感想が熱く書いてあって安心.ピューロランドはほんとうにとんでもないところですよね……観覧時期がずれているので,私が最近観て感心した「レディジュエルペットの魔法のミュージカル『誕生!リトルレディジュエル』編」とは別のショーなのだけど,この本で紹介されているほうも見たい(DVDが出ているらしい……).

カ60 左隣のラスプーチン,星屑スターライト☆(¥100)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で15日め.
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カ60 左隣のラスプーチン,*星屑スターライト☆*(¥100)

左隣のラスプーチン [第十九回文学フリマ・評論|文芸批評] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 語り手「那由」は「ドラマがない」ことに最後まで悩んでいる大学生.色恋や性愛沙汰にぶつかってみたり仲良しの「信仰」(あだ名らしい)とどつきあいしたり「テニプリ」のマンガを借りてみたりといろいろするがこの悩みは最後まで解消されない.おそらく「那由」のまわりの文学フリマ参加者の「おにいさんおねえさん」とか「信仰」とかには「ドラマ」があるんだろうけど,そしてそれは何らかの形で演劇のまわりをまわっているものらしいのだけど,よくわからない(よくわからないように書いてある).思わせぶりな続刊予告もなんかニコニコ動画のネタに乗っ取られてしまうし,いつまでも「ドラマ」に出られない子のもがくさまを感じられるかもしれない小説.
 「ああ、文学ってよいなあと思えるものを書きます。」ということだがこれだと“ああ、文学フリマってよいなあと思えるものを書きます。”だなあ……

イ64 魚小路書房,Clock around the world(¥300)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で14日め.12日めと13日めとはどうなった? ベントされた! いつ戻る? 戻らない!
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イ64 魚小路書房,*Clock around the world*(¥300)

魚小路書房_FishAlleyBooks [第十九回文学フリマ・小説|SF] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 1日のうちの1時間ずつを24個の短編に割り当てた小説集.海外ミステリーをよく読み込まれておられる同人らしくて,重苦しくない会話がなめらか.24個の短編の舞台をさまざまな国の都市(+宇宙ステーション)に割り振っているところもなかなかに挑戦的で気に入った.
 あまり暗い話は入っていなくて,ひととひととの心癒やされる交流がメインなのだけど(それができすぎているせいもあって,どの国の話も同じ都会の人間——北半球の人間——の話っていう感じがして,もっと異文化の感じがあってもいいのにと思った),それがない「午前十一時 エディンバラ」なども,ひとくち話としておもしろい.
 一気に読んでしまったのはちょっともったいなかったかも.短編を毎朝ひとつずつ楽しく読むような,そんなアドヴェントカレンダ的楽しみかたがおすすめの1冊.

カ47 建築雑誌ねもは,*建築雑誌ねもは 文学フリマ2014年秋号 特集=建築とダイアグラム*(¥500)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事は13日め(時間操作ずみ).
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カ47 建築雑誌ねもは,建築雑誌ねもは 文学フリマ2014年秋号 特集=建築とダイアグラム(¥500)

建築雑誌ねもは [第十九回文学フリマ・評論|建築] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 特集「建築とダイアグラム」ということで,重厚な論考“建築ダイアグラムの概念史”と年表と,それとリンクする連載“建築的思考の係争地(一) レム・コールハース/ヴォイド”とを収録している.
 ダイアグラムというとすぐ思い浮かぶのは列車運行図表だが,斜線が交差してダイアモンド型(菱形)を作るあの図だけがダイアグラムというわけではない.英語表現のうえではむしろ,図像〔icon〕や画像〔picture〕よりさらに一般的に図のことを指す語がdiagramと言われる.しかしながら,思想のなかでは,建築思想にかぎっても,また人文学でもdiagramはいろいろに異なった使われかたをしており,たとえばC. S. パースは,そこに現れる記号の構造が,対象の構造と類似しているような図のことをダイアグラムと呼んだらしい.建築思想においてダイアグラムのなんであるかが重要になるのは,それが実際に「建築プロセスを可視化することで,その有効性を示してきたから」であると著者は述べていて,なかでもp. 14にあるように,建築家が設計・構築するのは建築だけにかぎるまい,というような方向に建築思想が進む際に,ダイアグラム論が役立った,というのはおもしろい.
 たくさんの建築思想家が紹介され,その思想の目指すところと別の思想の目指すところとが対立する,という論争史にもなっていてとてもおもしろいのだけど,それぞれの建築思想の目指すところにある程度説得力がないと,そもそもなんでそんなことで対立しているのかがわからなくなってしまうので,これはもう少し紙幅をとって教えてほしいところ.例えば,p. 40で

 しかし、たとえばアイゼンマン的観点からすると、建築の機械化とは、ようするに建築の生成を情報技術に委ねるという意味で、建築の他律化を意味する危うさを孕むのではないか.

という箇所があるのだけど,そもそもアイゼンマンってどこで出てきたっけ?(p. 26です) そして建築の他律化がなんでアイゼンマンにとって危ういの?(アイゼンマンとしては,建築的形式という概念が歴史よりも上位に存在するから,非建築的システムによって建築を秩序づけるのは問題になる) そしてなんでアイゼンマン的観点から見て危ういかどうかを気にしなきゃいけないの?(これはよくわからなかった,弟子関係とかか?)みたいな議論を読者の側で埋めないと読みづらい.
 どうやら2015年発行予定の *ねもは04* に全文再録されるようなので,楽しみ!

ア14 演劇同人カタリザ,演劇同人カタリザ 第二号(¥300)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で11日め.
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ア14 演劇同人カタリザ,*演劇同人カタリザ 第二号*(¥300)

演劇同人カタリザ [第十九回文学フリマ・小説|戯曲・シナリオ] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 戯曲・小説・評論,ほかに学生演劇経験者へのインタビューなども入ったおもしろい演劇雑誌.新刊は第三号でしたが,目次をざっと拝見して,5月に出た第二号のほうを分けていただきました.
 特に気に入ったのは,兼枡綾,“曲がりきれない”(小説)と,山岸大樹,“あなたと出会うための演劇、そのための試論”(評論)との2つ.
 兼枡,“曲がりきれない”は,語り手が学生時代に演劇の世界に連れ込んだ女優「ヤギちゃん」への愛憎をつづった話.ひとへの愛憎を描くなら小説より演劇のほうが向いているとずっと思っていて,それはひとつの所作が愛の表現でも憎しみの表現でもあることをじょうずに表せそうだからなのだけど,この作品では語り手のところに間借りする「ヤギちゃん」の描写のあたりにそのうまさを感じる.

しかし女優との暮らしはたったの半年だった。女優は毎日稽古を終えて、お酒を飲んで、午前一時前に帰ってきた。その時、私はリクルートスーツのストッキングだけぬいで、小さなちゃぶ台の上で履歴書を書いていた。向かいに、赤い顔の女優が、あぐらをかいて座った。私が帰りがけに買って、履歴書が終わったら飲もうと思っていたエビスのロング缶を、手に持っていた。私は何も言わなかった。女優は缶をあけ、長い時間をかけてその一本を飲みきった。(後略)

 ここの,なぜ語り手が「何も言わなかった」かが,終盤で明かされる心理トリックになっている.
 物語は,就職後の語り手が,小劇場の人気女優を続けている「ヤギちゃん」を車で迎えに行き,その恋人もろとも「ヤギちゃん」を「曲がりきれ」ずにはねてしまえないかという幻想を抱くところがひとつの山場なのだけど,さきの心理トリックの種明かしがされたときには,語り手はずっと「ヤギちゃん」に精神的に間借りされた状態のまま,間借り=切れないで暮らしているのではないか,とも思えてくる.
 あと,小劇場の舞台だと車両をなかなか登場させにくくて演出家が悩むという話をきいたことがあるのだけど(デカくて重いし,まじめにやるならちゃんと作らないとちゃちいから),この作品でも,それから作者が個人ページで公開している作品“クッキー頂戴”でも,車両のなかの情景が印象的に使われていて,そこもちょっとおもしろい.*1


 山岸,“あなたと出会うための演劇、そのための試論”は,「役」「役割」「身体」といった概念をわりと徒手空拳ぎみに使っているのだけど,話の運びがスムーズで,書き手の迷いとか,素朴な直観と議論の進展した先との食い違いとにちゃんと戸惑うようすとかが,読者にとても親切で心地よく読める.若いひとの評論文は,精緻さの点で危なっかしいようなそんな極論を,さも信じきったような口調でつづるので,ちゃんと読者の批判を想定して書いたのかどうか不安になることが多いのだけど(私のもそうなりがちですが),この評論はさすがに「あなたの出会うため」と題にいうだけある.議論としては,「あなた」(「ありのままのあなた」がありうるかどうか考えるときに前提されている「あなた」)とか「僕」とか「他者」とかいったものが,この「役」「役割」「身体」の枠組みに反してあまりに素朴に前提されているところがちょっと気になる.
 前述の兼枡作品もそうなのだが,かなり組版が苦しい(文字組みのアキが広すぎる)のだけど,それを押して読む価値はある.

 ほか,以下を収録.

  • 平倉春香,“みほんおてほん”(戯曲)
  • タカハシカオリ,“彼女が旅に出る理由——「学生演劇」の経験はどんな思い出になるのか”(随想)
  • 大山日文,“「謎」”(戯曲)
  • 村松篤,“コミュニケーションについて語る時に僕たちの語ること”(コラム)
  • チアキ・シノブ,“前衛演劇なるもの”(評論)

*1:あと,兼枡らが発行している月刊誌(?)*かねますみいこ*の第4号(2014/09)収録の未衣子の文章は,この作品の冒頭イメージに応答しているように見える.

A26 生え際,生え際(¥0)

第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で10日め.
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A26 生え際,*生え際*(¥0)

生え際 [第十九回文学フリマ・小説|純文学] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 詩・評論・小説を収録した総合文芸誌.こういうのを手にとって読むのが文学フリマの楽しみだと個人的には思う.
 小説は,田越直裕,“雨の日の次の日”が好き.ぼーっと読んでいるとうっかり読み飛ばしてしまいそうだけど,この落ち着いた語り口の裏側では,登場人物「sgt」も「ik」もおそらく小学生であるかもしれないという事実が隠されている.「sgt」の幼いころの回想などもあり,語りの時点がいつなのか明確にはわからないのだけど,「ik」の大人びた語りも含めてせりふをト書きふうにして実際の発話(物語内の発話)から切り離してあることからして,わざとそこがあいまいにしてあるのは明らかだろう.昆虫(トンボ)やカナヘビといった小生物への着目があるいっぽうで,現在の「sgt」は車を運転するなどもしており,「ik」の父親であるようにも読める.福永信を思い起こさせる(私が好きな作家なだけですが)語りのマジックが楽しく,再読必至のよい作品でした.
 評論は清水智史,“煥発——阿部和重小論”を収録.*シンセミア*(2004)からのいわゆる「トリロジー」を扱うもの.小説一般についての第1節は1文ずつが短すぎてちょっと野暮ったいのと,昨今の優れた芸術性から物語性が失われているというかなり怪しい認識(たぶんむかしのポストモダン文学の一部を重大視しすぎている.他のメディアだとむちゃなほど重厚な物語は,現代も今後も変わらず文学のトレンドじゃないのかな)が目につくのとがあってちょっと苦しい.あと,せっかく聴覚や嗅覚といった「劣等感覚」に着目したのであれば,「赤」とか「熱い光」とかいった視覚的比喩を批評の重要なイメージとして持ち込むのは説得力を減じると思う.
 ほか,はっくにゃん,“ある種の不完全性のためのかぎりある種”,石坂優人,“宴もたけなわ”を収録.
 田越,“雨の日の次の日”より,はっとした箇所を引用.

 なにに惹かれて——塗料の白色を、日が差しこむ水面の反射に見間違えて、その光に惹かれて——水だと信じたのか。脇目も振らずその偽の水面へと飛び、その光のなかで、白い鉄板を掻き上げるようにつついた先端は触感を——ボンネットの高熱と強硬による拒絶に、とがった柔らかな腹の先が、ちゅん、と火傷した肉のように縮み、破られて傷むことはなかったのか——疑わなかったのか。

どことなく歌曲のように、浮かんだ疑問をあとから追いかける問い・答えが、のんべんだらりとなりがちな単線的な黙考記述のわきで走っている複線的雑念をうまく捉えている.まねしたい!

ウ17 一番合戦,一番合戦 魔法使い編(¥200)


第19回文学フリマ感想 Advent Calendar 2014 - Adventar,はじめました.この記事で9日め.
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ウ17 一番合戦,一番合戦 魔法使い編(¥200)

一番合戦 [第十九回文学フリマ・小説|ライトノベル] - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 毎回和製ファンタジーガジェットをテーマにした小説集を出している同人「一番合戦」(いまかい,とお読みします)発の,「魔法使い」をテーマにした本.前回の第18回文学フリマで出していた「ロボットと少女」特集に感想を書いたので,その流れでこちらもいただきました.
 濃色の表紙のイメージに合った“ふたりの魔法使い”の木島によるBパートが,夜のイメージを変える試みでおもしろい.木島,“11人目のまほうつかい”,大雲,“クルイ・C・新太郎、クエストに出る”はどちらも例の“なろう系”作品なのだけど,“クルイ・C・新太郎、クエストに出る”は冒頭のパートの“第0話 「イゼフス・R・創也、転職を決める”ぐらいのはしゃぎ度合いのまま進めてもらえたら,続きが気になる作品になると思う.工学博士から魔法使いに転職するというのはなかなか魅力的な設定だ(手強そうだけど).